見たことはなくとも、イメージできる人は多いのではないだろうか。
昨日、毎週のルーティンとなっている整骨院に行ってきた。月曜日は基本的にメンテナンスの日としている。今週は特に不調を感じているところはないと思っていたが、どうやら左足と腰の右側が張っていたらしい。そんなことはさておき。いつも施術してくださるのは、僕よりも10歳は若い女性の先生なのだが、昨日の先生との会話でちょっとした発見があった。
その先生の自宅の部屋は、友人から「ストーカーの部屋」と言われているらしい。壁や天井などあらゆるところに、先生の推しの芸能人のポスターやら写真やらが貼ってあるから、というのがその理由らしい。なるほど、それは確かにストーカーの部屋と揶揄されるだろうと納得したのだが、そこでふと思った。
僕は本物のストーカーの部屋に入ったことはないのに、なぜストーカーの部屋と聞いてその映像をイメージできたのだろう?
ストーカーが、必ずしも壁一面に”対象”の写真を貼っているとは限らない。もしかしたら写真立てに一枚だけ入れて飾っているかもしれないし、部屋の中は整然としていてもパソコンやスマホの中に大量の写真や動画を保存しているかもしれない。それすらなく、脳内で完結している輩もいるかもしれない。あらゆる可能性がある中で、なぜ「ストーカーの部屋ってこんな感じ」というイメージが共有されてしまったのだろうか。
いわば「ステレオタイプ」というものをイメージしてしまったのだろう。ステレオタイプとは「特定の文化によってあらかじめ類型化され、社会的に共有された固定的な観念ないしイメージのこと」(コトバンクより)とされている。ならば、その「ストーカーのイメージ」とやらは、どこからやってきた?
推測でしかないが、それはテレビドラマや映画、漫画やアニメといった作品の中での描かれ方からだろう。ではなぜそういった作品の中で所謂ストーカーがその様に描かれるようになったのかを推測すると、まだ世の中にストーカーという言葉が一般的ではなかった頃にメディアで取り上げられたストーカーの部屋が、たまたまそういうものだったからなのかもしれない。
いずれにせよ、我々はいつかどこかで見聞きした、なんとなくそういうものというイメージに従って世の中を見て生きている。実際に行ったことのない海外の国の文化、会ったことのない業界の人たち、食べたことのないもの、などなど。事実とイメージが合致していたらいいけど、乖離していればそれは思い込みでしかない。
ステレオタイプをまるごと否定するわけではない。ある程度自分の中にイメージを持って、あらかじめ身の回りのことに対してカテゴリ分けのようなものをしておかなければ、人は日々の一つ一つのことについて毎度詳細に理解しようとしなければならなくなる。それは途方もない時間が掛かるし、心身ともにもたないだろう。
しかし、時にはステレオタイプのイメージに縛られて物事を判断していないか視点を変えることも大切だろう。なんとなくそういうもの、として流してしまって、新たな発見を見逃してしまうのももったいない。学びや発見は、あらゆるところに転がっている。
なお、整骨院の先生は推しへの愛が強いだけで、ストーカーではない。
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