#【心理】 すっかり秋も深まった頃、隆二が開業するこの病院の看板が取り付けられた。
都内の一等地に、【渡辺クリニック】の文字が大きく見える。
サキの両親も看板の取り付け工事の日は
その場所に居た。
隆二も、まんざらでもない顔でその看板を見ていた。
サキの母は「これで、サキも院長夫人よ」と
この話しが決まってから、幾度となくこのワードを口にしては、喜んで居た。
そして、その後に必ず「次は赤ちゃんね」とサキを、煽った。
「職場には退職届は出したの?」と母が確認をする。 夫が開業医になるのだから妻は、夫の病院を手伝うものだと母に言われて、その話しはしてある。サキは自分の仕事に、やりがいを感じていたのだが、年内で仕事を辞める事になっていた。
サキは仕事にも未練があったのだが、それ以上に一也と会えなくなる事が寂しかった。
鎌倉から帰って来て、一度も、その時の話しはしないのだが、サキには一也と長谷寺に行ったという事実だけで満足出来るものがある。
十二月に入り、隆二の病院も、毎日、患者で溢れていた。事務長と言うポジションで、二宮恭子と言う女性が、看護婦達に支持をしている、
特に若い看護婦には、当たりが強い、隆二のいないところでは、ヘアメイクにまで口を出す。
キャラクターのボールペンを使っている新人には
腕を組みながら「あなた仕事やる気あるの?」と、まるで自分の病院のような圧をかけていた。
ちょうどその頃サキは、悪阻と戦っていた、
母は「サキちゃん、良かったわ〜来年は私も、おばあちゃんになるのね〜」とサキの身体を労った。院長夫人とは名ばかりで、実際に病院を回しているのは、隆二と二宮恭子だった。
だが子供も授かった嬉しさでサキの母は
「恭子さん、よろしくお願いしますね」と
病院の事は丸投げしていた。隆二も忙しさを理由に自宅に戻らない日も多い、
普通は自宅の近くに病院を開業するのに、隆二は
譲らなかった。銀座にある、隆二の病院から自宅までは、1時間以上かかる。
まぁ病院に泊まってしまうのも無理はないと誰もが思っていた。
師走に入り、少し体調が良い日に、サキは
隆二の為に季節の果物だけでも、と苺を抱えて隆二の病院へ行った。今日は日曜日、朝早く家を出た事もあって電車も、いつもよりは空いている…
もし寝ていたら、起こしてしまうから、と病院の合鍵も忘れてはいない、ただ隆二には何か欲しい物があるのか?確認しようとしたのだが
自分の体調も不安定だったので、あえては伝えていなかった。
病院に到着すると、そのピルを見上げた
その大きさに圧倒されながら、サキは静かに鍵を開けた…。
隆二のいびきが聞こえる、このタイミングで来てしまった事を、サキは少し後悔していた。
そっとペットのカーテンを開けると、久しぶりに見る隆二が眠っていた、
違和感がしたのは、その時だった
診察室の外からコーヒーの匂いがする。
次の瞬間、廊下を歩く音がして、早朝だと言うのに、事務長の二宮恭子が静かに部屋に入って来た。まるで眠っている隆二を起こすような大声で
「サキさん、おはようございます、私、昨日大切な本を忘れて、取りに来たんです事務の仕事も難しくて、勉強中なんです」と言った。
思わず、サキは 「しー」といいながら人差し指を唇に当てた。
その声で起きた隆二は「誰か来たのか?恭子」と言った…
サキは聞き逃していない、
だが、彼女は何も無かったように「奥様がいらっしゃってます」とだけ言った。
そして、「私は、帰ります」とサキに頭を下げた。
サキが戸惑っていると、開き直ったように隆二が「日曜日に、何かあったのかな?」と厄介な物でも見るような目つきでサキに尋ねた。
「ここ数日、自宅に戻らないから、果物を持って来ました」
隆二は、「悪い、もう少し眠らせてくれよ、タイミングが悪いんだよ」と、かつて無い口調でサキに鋭い目を向けた。
驚いたサキは「ゴメンなさい、苺を冷蔵庫に入れて帰ります」と言いながらベッドサイドのゴミ箱に目をやると、なぜか メイクをオフしたシートが入っていた…。
#子育て