# 2 原稿一部公開
『 マイルドセブンと尾崎 豊さん 』
「 帰れコール 」を体験した年の 4 月、
初めて 尾崎 豊さんという方を知りました。
教室でのクラス発表会の際に、クラスメイトの女の子が、涙ながらに語っているのが印象的でした。
「 わたしの支えは、尾崎 豊さん
でした。彼には感謝しか
ありません。ありがとう …… 」
普段は割と大人しく、清楚な感じがある子だったので、熱く語る発言が、すごく印象的でした。
「 そんな方が、日本にいたんだ 」
どのような方なのか、ものすごく興味を
持ちました。
1992 年 4 月、尾崎 豊さんは亡くなりました。
「 15 の夜 」
「 十七 歳の地図 」
「 卒業 」
など、10 代の当時の心の叫びを、みごとに音楽にした アーティストでした。
亡くなった年の葬儀・追悼式には 4 万人近い人が参列しました。その数は、美空ひばりさん、吉田茂 元首相の式の規模に匹敵する数だったと言います。
尾崎 豊さんが亡くなった年の 1 年前の 1991 年に、日本のバブルは崩壊しました。
当時の不景気からくる社会不安、閉塞感を感じる 10 代の不満を主張した、カリスマ的存在だったと思います。
涙ながらに尾崎豊さんを語った女の子の発言がきっかけで、数日後、レンタルショップで CD を借りてきて聴きました。
(当時はポケベルもなかったので、レンタルショップで CD を借りるというのが、貴重な情報源でした。YouTube も存在していなかったです )
中学 3 年生の 9 月頃、ケガで野球部の活動からも離れていた僕にとって、尾崎 豊さんの存在は強烈でした。
ケガで小学 3 年生から続けていた野球が
できない不満、
夏に体験した「 帰れコール 」がきっかけで、
ストレスのはけ口が持てない不満、
1 週間に 1 日くらいの割合で、学校を休みがちになっていた僕にとって、尾崎 豊さんのストレートな歌は、僕に影響を与えました。
自分の不満やストレスを、尾崎 豊さんの歌で発散させようと、していたのかもしれません …… 。
世の中への「 不満 」
学校への「 不満 」にストレスの発散を求めていた
僕は、徐々に視点が「 内に内に 」向かっていき、世の中や学校に、不満を漏らすようになっていきました。
小学校の野球部でチームメイトだった友達の家に放課後、よく行くようになりました。
チームメイトのお兄ちゃんは、元ヤンキーと呼ばれる人達で、社会人になっていましたが、チームメイトの家の一室に友達と集まって、よくタバコを吸っていました。
そこで、僕は初めてタバコというものを
体験します。
初めて吸った時の、焦げたような香りと、息が吸えなくなるほどの煙が衝撃的でした。
美味しいとは決して思えないけど、それを言わず我慢していました。
美味しくないとは言わず、我慢することが、カッコいいことだと勘違いしていました。
夜、21 時頃、家族が寝静まったあとに、1 階で寝ているお爺ちゃんの木製の引き出しを物色しました。
引き続きから、お爺ちゃんの吸っていた
マイルドセブン
のタバコを 1 本盗み、近所の空き地まで行き、吸っていたのを思い出します。
体を動かす野球が出来なくなったことへの不満
世の中、学校への不満
言葉にしようとすればするほど、益々ストレスは溜まりました。
タバコを吸うことで、自己肯定感も低くなっていくのを感じていました。
次回は、高校生の時、1 番辛かったことなどを中心にお話出来たらと思います。
最後までご視聴頂き、ありがとうございます。耳読書家でKindle作家のやまでした。
#1 原稿一部公開『 僕が不登校になったきっかけ 』
https://stand.fm/episodes/6548808ad9e7b895ac817392
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