最近トランスジェンダーの話題が多いので、ちょっとまとめてご紹介しております。今日の話もトランスジェンダーの話です。
■臨床現場でのトランスジェンダーの定義
臨床現場でのトランスジェンダーの定義はどんな感じなのでしょうか。トランスジェンダーの放送の回、勉強になりました。もう編集されて確認できなかったのですが、テキストの文末に宇多田ヒカルのお話がありましたが、彼女はノンバイナリーを公言されていますが、臨床的にはノンバイナリーもトランスジェンダーの括りなのでしょうか。
素人の理解ですと、ノンバイナリーは肉体性別と心の性別に倒錯があるというより、いずれにおいても定義することへの違和感や抵抗のような感じなのかと思っていました。違法人二世で思春期がままならなかった宇多田が、そういう思春期の抵抗や当たり前とされる定義にNOを示すのは腑に落ちた感覚だったのですが、宇多田のようにフェミニンなタイプではないけれど、一見普通の女性も臨床現場ではジェンダーがトランスしていると捉えるのでしょうか。そうなると結構多くのタイプが生えてきそうだなと気になり、細かい質問ですみません。という話ですね。
この方のおっしゃるように、宇多田ヒカルの思春期の抵抗によって当たり前とされる定義にNOを示す、これは多分本当にそういうことなんだと思うんですね。だからLGBTQの中で話す内容ではないんじゃないかなと思うんですね。ノンバイナリーとかっていうのは。ノンバイナリーってセクシャルマイノリティでもないし、ジェンダーマイノリティでもなくて、哲学的な話なのではないかなというふうに思っています。
■ノンバイナリーの定義と哲学的な話
だから臨床現場でトランスジェンダーもどちらかというと愛着不全、愛着障害を引きずっている人もいるし、そうでない人もいるんだけれども、そうでない人は哲学的とまではいかないけれども、なんかやっぱり自分で腑に落ちない社会に対してのNOっていうのがあるのかもしれない。
でもこういうことって臨床の話ではないので、哲学の話になってくるので、それを臨床で話される、哲学みたいなものを話される人はいるんですよ。でもそれはそれでOKで、私も頑張ってついていきますので。トランスジェンダーは臨床としてはジェンダーがトランスしているから、そこで発生する苦悩というものはある感じなので、臨床としては成り立っていくと思いますけれども、ノンバイナリーは苦悩というよりもその人の主張、哲学、そっちが強いんじゃないのかなと思っています。
だからあんまり臨床と関連して話せるかというと、なんか違うんじゃないかな。だからLGBTの中の一部として話すのはちょっと不適切かもしれないかなと思っています。特にやっぱり重要になってくるのはセクシャルマイノリティに対しての悩みというのは、これは多分大きいと思うんですね。悩んでいる人もいれば悩んでいない人もいますし、悩んでいる人にとってはセクシャルマイノリティって大きいんだと思うんですよ。だからLGBTについては臨床現場でもいろいろ登場してきますけれども、トランスジェンダーとかそれ以外のジェンダーマイノリティ、ノンバイナリーもそうなのかもしれないし、クイアーとかクエスチョニングとかエイセクシャルとかいろいろありますよね。あの辺っていうのはLGBTの中で話す内容ではないのではないかなと思ったりもしていますが、そんなところですね。もう一つ愛着障害とトランスジェンダーについてのご質問があったので、それはまた次回にでもお読みしたいと思います。ジェンダーについてはこの辺で一旦区切りとさせていただいて、もうちょっと臨床寄りのレターもたくさんいただいていますので、そっちの方に主軸・舵を切っていきたいと思います。それでは今日は休日ですね。勤労感謝の日。働いていらっしゃいます。ご視聴ありがとうございました。