早速今日のレターのご紹介です。 いつも放送を楽しみにしています。質問箱も。 セルソフォンセカ聞いてみました。素敵ですね。 言葉が足らなさすぎるのですが、聞いた瞬間、大人の余裕みたいなムードに心が落ち着きました。 それから、愛着不全のテーマソングはヘッドバーンのムーンリバーなんですね。 二人の流れ者が世界を見るために旅立ったという歌詞はカメレオンぽくもありますね。 窓辺で一人ギターを弾き語りする女性で、Fine on the outside という歌を思い出しました。 歌い出しの歌詞が愛着障害っぽいと思っていたのですが、改めて通して聞いたら、愛着不全、愛着のある人の歌っぽいなと思いました。 それとも、愛着障害も回復したらこのような心境、私が死んだら泣いてくれる人はいるのだろうかと思いをめぐらす感じになるのでしょうか、というお便りですね。
ここにyoutubeのアドレスを貼ってあるので、このファイン・オン・ダ・アウトサイドの歌なんでしょうかね。 すいません、これまだ聞いていないので、この歌についてのコメントは何もできないのですが、セルス・フォンセカは良いですよね。 私は今年初めて知ったのですが、なかなか良くて、彼のyoutubeのライブラリを結構聞いています。 ヘプバーンのムーン・リバー、二人の流れ者が世界を見るために旅立った、という歌詞が出てきますね。 Two drifters というところですね。 愛着不全も流れ者の生き方になっていくんだと思うんですよね。 愛着不全は流れ者のような生き方になっていく、愛着障害は最初から流れ者だった。 ここが違うんですけどね。表面的には流れ者で一致している感じですよね。 だからカメレオンっぽいというのはそういうことなんだと思うんですね。
ヘップバーンは途中から流れ者になったんじゃないのかなと思います。 トルーマン・カポーティの小説を読むと、両親が途中で亡くなって放り出されてしまうわけなんですけれども、 両親の記述については何も触れていないので、愛着障害とも愛着不全とも普通ともよくわからないですね。 ただ、思春期っぽい生き方。 もともと小説は19歳が設定ですからね。 もろ思春期なんで、愛着不全っぽいというのはそうなんですけどね。 だから愛着障害かどうかは小説では全く背景が書かれていないので、よくわからないですね。 だから愛着不全、途中から流れ者になったということなんだと思うんですよね。 最後は小説はずっと流れ者で生きていければなみたいなニュアンスかなと思います。 それもいいんだと思うんですよ。 愛着障害の流れ者と愛着不全の流れ者が二人で旅をするというのもありなんではないでしょうか。 YouTubeのアドレスを貼っていただいているので、ちょっと聞いてみようかと思います。 ありがとうございました。 それではまた。