4才の時ピアノを始め、8才の時、音楽家になる夢を掲げた。
それまで遊びだったピアノは、その時から志に変わった。
そこからは修行の道となり、遊びにも行けずピアノを弾いた。
こども心にこの道は大変な道だということがわかっていた。
でも、熱いものがあって、覚悟を決めた。
それからの人生は、この夢を追う日々となった。
1999年1月31日、アルバム「Dear」
念願のデビューを果たし夢を叶えた。
でも、順風満帆になど行かなかった自分の音の道。
作った音楽を知ってもらうこと、
好きになってもらうこと、
出逢えていない人たちに遠く届いていくこと、
一番大変だったのは、
長く応援してもらうこと。
メンタル弱っちぃ私は、しょっちゅう落ち込んで
泣いてはうずくまり、
答が出るまで延々と悩みこむ、
そんな弱い自分と常に格闘しながら、
それでも、そんな弱さも含め全力で歩いてきた。
長く活動を守ってくることの難しさ、
時代の荒波、
そんな中でついに心折れた。
音楽という人生のほとんどを全力で賭けてきた夢を
失うのなら、
何のための今までだったのか、
空しくて、孤独で、不甲斐なくて、
もう生きていたくないとまで思い
もう立ち上がれなくなった。
そして、ついにピアノの蓋を閉じた。
2019.2.23 活動20周年のコンサートをけじめとして
黙って静かにステージを降りた。
音楽の道にはもう戻らないと思った。
戻ったらまた険しく終わりのない茨道だと思った。
別の夢を探した。
その中で巡り合っていったのが、
星詠みと筆文字の世界だった。
同じく筆の道を目指す仲間たちと頑張る中で、
「ライブペイント」というジャンルがあることを知った。
ミュージシャンと一緒にステージに立ち、
生のパフォーマンスをダイナミックにしていく。
師匠のめちゃくちゃかっこいいパフォーマンスを見た。
「これはまるでミュージシャンのようだ!」と思った。
『筆を持ってステージに舞い戻れる!そんな道があったのか!』
私は、本気でライヴペインターとしての活動を始めた。
そして、ライヴハウスに出入りするようになった。
ピアニストとしてではなく、書家としての舞台。
ライブハウスに行く度に、
ピアノのデザインの名刺を渡しながら
「書家です」
と不思議な挨拶をする自分・・。
相手は現役のミュージシャンの顔をして
堂々と自分の音楽を表現して輝いていた。
「(本当は自分も音楽家なのに・・。
でも私、負けたんだよな・・)」
と心の中でひっそりと泣いた。
「(私も本当は音楽家なのに・・)」
このつぶやきは、だんだん叫びとなって行った。
もう一度ピアノが弾きたい。
ならば弾いたらいいんじゃないのかな、
だって生きてるんだもん。
8才の時からプロを志した。
ずっとその域に行かなければ
人生失敗のような気がしていた。
だけど、挫折した自分は、ピアノを弾く資格なんてないのかな?
ピアノや音楽は、本当はもっともっと素敵で素晴らしいものなはず。
人生終わる時に、
「本当はもっとピアノを弾きたかった」
そう思って後悔している自分が想像出来た。
そして、4年半ぶりに
私は再びピアノの蓋を開け鍵盤に指を落とした。
「あぁ・・・ピアノの音ってきれいだなぁ・・
私、こんなきれいなものを弾いて生きて来てたのかな」
涙が出て来た。
もう一度ピアノが弾きたい。
あ・・・Stand FM・・・。
2023年7月9日 25:30頃
ついに私は、ピアノを弾いた。
もうかっこつけも、取り繕いも、見栄を張ったりも、
そんなことは一切やめよう、
余計な欲はすべて捨てよう、
ただただ正直にピアノを弾いて、正直な想いを伝えて、
そういう自分を受け入れてくれる人たちに届けていく、
そんなシンプルな形でいいじゃない。
そう決めた。
私はそれから毎日、一生懸命に、正直な想いを語り、
正直にピアノを弾いた。
戻って来た私を待っていてくれたのは、
10代20代の頃、まったく手も出なかった即興演奏だった。
その即興演奏を気に入ってくれる人たちが
私のライヴ配信に連日来てくれるようになった。
「もう一度ピアノ弾いてくれてありがとう」
「24:00をずっと待ってたよ」
こんなことを言ってくれる人たち。
どんなに支えになり、希望になったことかしれません。
ずっとほしかったのは、こんな人たちとの心の繋がり、
その繋がりが育んでくれる居場所でした。
私の本当の夢は、立派な大舞台に立つことなんかじゃなく、
心で繋がれる人たちとの日々だったんです。
ピアノの道に戻ることを筆の師匠に告げた時、
目指す大舞台を訊かれた。
『私、東京国際フォーラムホールAに立ちたいです』
5012席の大ホール。
口では言いながら、心の芯のところでは、
自分にはこれは叶えられないだろうと思った。
でも、私という人間や、私の可能性を信じてくれる人たちがいる。
なのに、最初からあきらめて挑むこともしないのは
アーティストのやることじゃないんじゃないかと思った。
このありがたい人たちに恩返しをしたい。
最高の音響と照明と空間で、
人生の中で最高の感動体験を届けたい。
時間と努力がたくさんかかる、本来無理でしかなかった夢を叶えること、
そのドリームを感謝の形として返したい。
大切なこのみんなと東京国際フォーラムにたどり着いて
夢叶ったね~!って言って感動の涙を流したい。
私の本当の夢は、
大舞台に立つことじゃなく、
大切な人達と最高の体験をして感動しあいたい。
この想いだけで毎日を生きています。
みんなのおかげで私立ち上がれたんです。
もう一度、夢を掲げて一生懸命になれた。
こんなタカラモノってありません。
1周年を迎えた夜に、
両手いっぱいの感謝を込めて、
「タカラモノ」というお題でピアノ即興しました。
是非聞いてください。
ありがとうね。
みんなのおかげで、本当に毎日幸せです。
本当にありがとう。
日吉真澄