自分軸とか自分らしさは、自分で選ぶってことなのかなと聞いていて思いました。変わった変わってない論争は、チーズはどこへ消えた、的な変化に対する怖さがあるので、なおさんの言う通り、変わってないところを探してしまうのは、あるあるですね。知らない人と会うより知っている人と会う方がいいはずなので、知っている部分を探してどこか安心したいのかなと。そもそも変わらない人間なんてこの世にいないんですけどね。自分らしさが言葉に吸い寄せられてしまうのは、やっぱり何者かになりたい、何者かでありたいという人間の本能的なもので、キャラクターを手に入れようとする動きや、自分をカテゴライズしたい欲求かもしれないです