こんにちは!「ラジオゆうびんきょく」です。
今日のテーマは、手紙って、昔はどうやって届けてたの…?というお話です。
答えはズバリ!
飛脚!
飛脚って聞くと、「超はやく走る人」ってイメージありませんか?実は、その通りなんです!飛脚は、江戸時代から明治初期まで、人の手で手紙や荷物を運んでいたお仕事です。そして、飛脚にはいくつかの種類があったそうです。
まず、幕府が直接運営していた、継飛脚。中継所でリレーしながら超長距離・早馬方式で、急行だと、江戸から京都までを、82時間で運んだそうです。この継飛脚は幕府専用で、各藩の大名は使えませんでした。
そこで各藩の大名が利用したのが、大名飛脚。江戸時代,諸大名が藩と江戸との連絡にもちいました。
そして、民間で営業していた町飛脚。商人などの民間人の書状や荷物も運ぶ、いわば当時の宅配業者さんでした。
飛脚は天気や道路の状態に左右されがちで、利用するには費用もかなりの高額。町飛脚といえども、利用は主に武家や商人で、一般の庶民が利用するには高嶺の花だったようです。
そこに登場した新式郵便。だれでも安く、平等に手紙を出せるようになる制度。明治4年、前島密が新式郵便の導入を発表すると、真っ先に立ち上がったのが全国の飛脚問屋たち!
「国が民間の仕事を取るのか!」
「これまでの信用と人脈をどうしてくれる!」
当時、飛脚問屋は“地域の物流インフラ”を担っていた重要な存在。それを「国営でやるからもういいよ」と言われたら、そりゃ怒りますよね。
これに対し密さんは、「理解してもらう」ことに全力を注ぎ、飛脚問屋への説明会を開き丁寧に解説を重ねました。
これに納得した飛脚問屋は郵便事業での競争をやめ、貨物を運送する陸運会社として発展しました。1872年(明治5年)6月には、全国の宿駅に誕生した陸運会社を統合し、日本通運株式会社の前身となる陸運元会社が設立されました。
密さんは、ただ制度をつくるのではなく、人の気持ちを動かしたんですね。「過去を否定せず、未来に活かす」。その姿勢がいまの郵便制度につながっていきます。
それでは次回は、「ハガキと年賀状」の誕生にせまりたいと思います。
「ラジオゆうびんきょく」次回もお楽しみに!
※この番組は、ChatGPTで台本を作成し、MyEditで音声読み上げしています。