🦥の持論に「顕如よりも僧兵門徒の方が余程悟りに近かったのでは無いか?」と言うものがある。片や「門跡」となる為に生まれた時から生きて来た。片や坊主で有りながら酒を飲み魚鳥を食らい、女を抱き、人を殺す。そんな者の方が悟りに近いのか?と言われるかも知れない。ただ、ロクに衆生を知らぬ者と衆生の闇を実践する者、仏の教えもある程度身に付いた者共。相対が仏教の教えとするならば「悟り」に近いのは両対極を経験している僧兵門徒の方では無いか?と思うのだ。煩悩を滅しようとして逆に煩悩塗れの糞坊主に成り果てた者など腐る程居るのでは無いか?(・・?
#gonzaの秒配信
#名も無き道々の人々
#顕如と僧兵門徒
#経典と寺の中では衆生を知る事は出来無いのでは?
#悟りとは開くものでは無い。気付くもの
#煩悩を滅しようとして逆に煩悩塗れ