〈2/4(水)、5(木)横浜寺家円坐@里のengawa〉のご案内
横浜市寺家町にある里のengawaさんの庵をお借りして、
橋本久仁彦さんとくぅさんこと松岡弘子さんに来ていただき、
円坐をひらく運びとなりました。
昨年2025年の2月から、
大阪石切の円坐守人稽古会に参加し、
橋本さんとくぅさんとは、全国から集まっている坐衆のみなさんとともに、
毎月円坐の時間を共にしています。
今回は大阪とは違う地元横浜の地で、お二人と新たに集う坐衆のみなさんと、
どんな時間を過ごせるか今からどきどき楽しみです。
稽古会では、
僕が何か動いたり話したり、
もしくは黙っていたとしても、
言葉や態度に長年実践してきた
コミュニケーションスキルが滲み出ているようで、
摩擦や衝突が起こります。
僕は、摩擦や衝突を避けたいので、
スキルのようなものは使わないように
自分のありのままを出そうと努めますが、
そもそもその態度が打算、自分で状況を操作しようとする態度だからか、
結局、新たな摩擦や衝突が起こります。
毎月の円坐で何度もそういうことが起きるので、
最近はもうこれはしょうがないかという気持ちになってきました。
そもそも「ありのままを出そう」ってなんなのか。
「ありのまま」なんてものを先に想定しているところから、
すでにズレている気がします。
でも、しょうがないと思うようになってから、
どこか気が楽になったというか、
摩擦や衝突を受け入れて、
いや、むしろ摩擦や衝突が起きてこそぐらいの気持ちで
円坐に向かってみようという気持ちになってきています。
あれだけ避けたたかった摩擦や衝突にもかかわらず、
そんな風に思えてきたのは、円坐稽古が毎月繰り返しあったからだと思います。
一度や二度の円坐では感じられなかったと思う。
衝突している最中はどきどきするし心地のよいものではないことが多い。
でも、そのことをきっかけに、今まで思ったこともなかったこと考えはじめたり、
自分が他者に対してどんな反応や振る舞いをするのかが見えたり、
相手の存在がはっきりと自分に中に残るようになったり。
円坐である人とぶつかったあと、
次の稽古会までの1ヶ月、毎日その人のことを思い出すようなときがありました。
ただの考えすぎ、一人の妄想とも言われそうですが、
自分を油断させない存在、気持ちを引き締めてくる存在として、
今でもふと、その人の姿と言葉を思い出します。
有無ノ一坐のみなさんには、
かかわりつづけるという態度や生き様を、
言葉ではなく、その態度や生き様そのもので
伝えてくれていると感じています。
ぶつかってみてはじめて見えてくる相手や自分の姿。
いい関係になる保証はなく、険悪になることだってある。
ただ関わりつづけると決めたなら、関係はつづく。
衝突を超えた関わりあいの先に何があるのかを見てみたい。
まだまだ衝突を避けがちな自分ですが、
今ある自分を投じて、他者に向かってみたいと思います。
ご縁ある皆様のご参加をお待ちしております。
中尾聡志
〈横浜寺家円坐@里のengawa〉
日 時 2026年2月4日(水)5日(木)10時〜17時
場 所 里のengawa いろり庵
https://satonoengawa.com/contact-us
〒227-0031 神奈川県横浜市青葉区寺家町522
参加費 25,000円
守 人 橋本久仁彦、松岡弘子、中尾聡志
世話人 中尾絢子、長女(5歳)、次女(3歳)
申込み メールにてお申し込みください。
ordinaryworld2010@gmail.com
〈円坐とは〉
円坐とは、円坐守人の呼び掛けの言葉に呼応して、
定められた場所と刻限に寄り合った坐衆(参加者)が、
ただ円に坐り成り行き(道往き)を共にすることで す。 @
円坐守人は、円坐の呼び掛け人であり、円坐の坐衆の一人でもあります。
円坐守人の役目は、円坐の場所と刻限の決定(結界)を尊重し、
「円坐」という出来事(アラハレ)に目を見張り、
話し手の言葉(事の端)に耳を澄ませ、
円坐守人として自らに約束した「聞く」という道を果敢に辿り、
刻限まで円坐(坐衆)と尊厳をもって対峙し、関わり、仕合うことです。