奇跡の道(A Course in Miracles)の解説です。今日はテキスト第2章2節の1-4段落を解説してみました。みなさんのお役に立てたら嬉しいです。質問やコメントをお待ちしております。解説・川上貢一(コオ)
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3、本日のテキスト
二 防衛としての贖罪
1 あなたには私が頼むことなら何でもできる。2奇跡を成すようにと頼んだし、奇跡は自然なものであり矯正的であり癒しであり、普遍であることなど、明らかにさせておいた(S - 44)。3奇跡にできないことは何ひとつないが、疑ったり恐れたりしていたのでは成しえない(S - 45)。4何かを怖がるとすれば、自分を傷つける力がそれにあると承認していることになる。5自分が胸の思いをよせるところには、自分の宝もあるということを思い出すように(S - 46)。6自分で価値があると見なすものを信じるのである。7もし恐れを抱いているなら、間違って評価しているといえる。8そうなると自分の理解力では間違って評価するようになることは免れず、また思考にはすべて同じような力があると考えると、それが心の平安を乱してしまうのは必然的である。9だから聖書では「あらゆる人知を越える神の平安」について述べている(S - 47)。10この平安はどんな種類の誤りにもまったく揺るがぬものである。11それは神に属さない何ものかの能力が、あなたに影響を及ぼすはずがないとして、それを否定してしまう。12これこそ適切な否認のしかたといえる。13何かを隠そうとしてではなく、誤りを正すために否認するということ。14誤りをすべて光へともたらしたうえで、誤りと暗闇とは同じものなのだから、自動的に誤りを正すのである。
2 真に否認することは強力な保護するための手だてといえる。2間違っていることが自分を傷つけることができるとなど信じないでいられるし、そうすべきである。3こんな風に否認するのは隠す手段ではなくて訂正する手段となる。4あなたの正しい心はこれに依存する。5間違いを否認するのは真理のためには強い防衛となるが、真理を否認すると結果的に誤って創造し、自我を投影することになる。6正しい心に仕えるうちに、間違いを否認することで心を自由にし、意思の自由を確立し直すのである。7意思が本当に自由なら誤って創造することはありえない、ただ真理のみを認めるのであるから。
3 あなたは間違っていることを防衛できるし、同様に真理を防衛できる。2そのための手段は、目標とするものの価値をしっかり設定したあとで、もっと分かりやすくなる。3何の為にするのか、それが問題。4誰もみな自分の宝を守るのであり、また自動的に守ろうとするだろう。5本当の質問は、何を宝として蓄え、それをどれほど大事にするかである。6いつもこうした質問をまず考慮したうえで行動に移すことをいちど習得したら、その手段をはっきりとさせるのは容易になるだろう。7そうした手段はあなたが求めさえすればいつでも応じられようにしてある。8しかも、もしこの一歩を必要以上に長引かせさえしなければ、時間を省くことができる。9正しく焦点を合わせれば、それを測り知れないほど短くできるだろう。
4 贖罪こそ破壊的には使えない唯一の防衛法といえる、なぜならそれはあなたが作った手だてではないからである。2贖罪の原理というものは贖罪が始まるずっと前から実質的にあった。3その原理は愛であり贖罪が愛のなすわざであった。4分離以前には愛のなすわざは必要ではなかった、空間と時間に対する信念など存在しなかったのだから。5贖罪とそれを完了するのに必要な条件を計画されたのは、ただ分離以後のことである。6つまりその分離のあと、誤って使われることのない完全で申し分のない防衛を必要としたわけだ、とはいえその防衛が拒否されることはありえる。7しかしながら、拒否することがこの防衛法を攻撃するための武器に変えることはできなかった、ところが他の防衛法にはこれが当たり前の特徴だといえる。8こうして贖罪が両刃の剣(もろはのつるぎ)ではない唯一の防衛法となるわけだ(S - 48)。9贖罪はただ癒すことができるだけである。
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