「お金がフィクション」は、宗教とかもそうですけど、「同じフィクションを大量の人が思い込めている」から、フィクションでありながら、フィクションじゃない影響力をもっている例の一つな気がします。
フィクションは、ある一定以上の人数で思い込むと現実になる(リアルな影響力を持つ)のは、
魔女狩りや、テレビは真実、とか、政治家は正しい、教師は聖人、みたいに、どこかのタイミングで、「思い込みが外れていく流れ」が生まれたら、影響力は減るでしょうけど、
実際のインフラや社会システムにも根づいちゃっているお金が、「フィクション」だと気づいた人が増えたとて、「とはいえ簡単にはなくせない」よね、っていう現実意見もでつつ、「代替できるなにか別のフィクション」を探す程度に収まるような気がしました。
等価(と思い込めるものとの)交換は、お金ができる前からやっていたことだから、「お金」のフィクションさというよりは、「等価交換」のフィクションさは、感情や感覚がはいるから、なくせない気がします。
「等価交換」をなくせるときは、きっと人自体の思考や感情とか、自己同一性、相対意識、みたいな全てがフィクションだと、大量の人数で腹落ちしないと、なくせない気がしました。
「法律」も「罰則」も、ルールも文化も倫理観もフィクションですけど、それがなきゃ、「自分」が間違いなく存在していると思い込めるから生まれる「感情」をもっちゃう人間を、共存(コントロール、暴走させない)ができないのかもしれないですね。
「言葉」も似たようなものかもですね。おなじ感覚だと思い込みを囲いやすくするツールというか。解像度をあらいままで、同じ認識をしているテイに思い込ませやすくするツール。
大量な人数で思い込めるフィクション、って、素敵な気がしてきますね。リアルな影響力をこんなにももてるんですから。作ったもん勝ちというか、