分かり合うことは、同じ考えになることなのだろうか?
今日、「夫婦」をテーマにした哲学対話に参加してきました。
その中で氣になったのが、パートナーに「分かってほしい」という思いです。
自分の氣持ちを分かってほしい。
自分が何を大切にしているのかを理解してほしい。
でも、それは相手にも同じ考えになってほしいということなのでしょうか。
そして、相手から「分かったよ」と言われたら、それで満足できるのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、僕の中で少し違う感覚が生まれてきました。
もしかしたら僕が求めているのは、自分がすでに分かっていることを理解してもらうことではないのかもしれません。
むしろ、自分でもまだ氣づいていない自分の中の何かを、相手に感じ取ってもらいたい。
そして、そこに目を向けて、言葉をかけてもらいたい。
そんなことなのかもしれないと思ったんです。
そう考えると、妻の話を聴くとき、僕はそんな関わり方ができているのだろうかという問いも生まれてきました。
哲学対話では自然とやっているような氣もするんですけれど、普段の夫婦関係ではどうなのだろう。
今回は、そんなまだうまく言葉にできない発見についてお話ししました。
⸻
田中宗吾の活動について
僕は、人との関わりや日常の中にある「問い」を入り口に、対話や身体を通して、本質を感じ、考える活動をしています。
哲学対話や身体ワーク、個別相談など、活動の詳細や開催予定はこちらからご覧いただけます。
▼ 田中宗吾ホームページ
https://lifework.tanaka-shugo.com/
⸻
#分かり合う
#夫婦関係
#哲学対話
#人との関わり
#田中宗吾