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  <title><![CDATA[N A Cチャンネル]]></title>
  <description><![CDATA[スピリチュアルすきです。よろしくおねがいします。
本チャンネルのスピ内容は仮説とさせていただいております。

Amazon出版　　ノンデュアリティ　試論
https://amzn.asia/d/06rIGEhb

小説サイトのアルファポリスにて、スピリチュアル
（題名）
「ノンデュアリティ日記 」
を書いています
（無料で読めます。ノンデュアリティとは、スピリチュアルの中の非二元系メッセージです）
#アルファポリス 
https://www.alphapolis.co.jp/novel/365579257/75935618

YouTubeチャンネル（NAC）
https://youtube.com/@nac-u7p?si=tWKvzpvQqkuiA0Y7

わたくしの、スピ遍歴は、
原始仏教を２０代後半からよんだりしました。
２０代前半は法華経関係の仏教に在家入信して
ましたが、あとで原始仏教をしって信仰をやめたのでした。
そのあと
原始仏教の無常だけでなく、実在とは何なのかとしりたくなり、
いくつかの、日本の神道系などの宗教に興味をもちました（手かざしの崇◯真光とか）。それもやめたあとは、
東大阪の神社の参道などの霊能者の占いとかにアドバイスをもらったりして
そのアドバイスをうけて不動尊巡礼をしました。

そのあと、無職になり、
親と海外旅行したあと
純粋一元というイエスをチャネリングした
奇跡講座ACIMの教えに出会い、
やがて、インドのラマナやプンジャジなどの
ネオアドヴァイダ（インドの現代非二元）の本もしりました。
奇跡講座を学びはじめて、10年くらいたったころ、
ノンデュアリティオートマチックが流行し、
それにも影響をうけて、
現在は、特定のメソッドに依存せず、ナチュラルノンデュアリティ（オートマチック）という仮説にいたっております。
およみくださり、ありがとうございます。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ

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本チャンネルのスピ内容は仮説とさせていただいております。

Amazon出版　　ノンデュアリティ　試論
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小説サイトのアルファポリスにて、スピリチュアル
（題名）
「ノンデュアリティ日記 」
を書いています
（無料で読めます。ノンデュアリティとは、スピリチュアルの中の非二元系メッセージです）
#アルファポリス 
https://www.alphapolis.co.jp/novel/365579257/75935618

YouTubeチャンネル（NAC）
https://youtube.com/@nac-u7p?si=tWKvzpvQqkuiA0Y7

わたくしの、スピ遍歴は、
原始仏教を２０代後半からよんだりしました。
２０代前半は法華経関係の仏教に在家入信して
ましたが、あとで原始仏教をしって信仰をやめたのでした。
そのあと
原始仏教の無常だけでなく、実在とは何なのかとしりたくなり、
いくつかの、日本の神道系などの宗教に興味をもちました（手かざしの崇◯真光とか）。それもやめたあとは、
東大阪の神社の参道などの霊能者の占いとかにアドバイスをもらったりして
そのアドバイスをうけて不動尊巡礼をしました。

そのあと、無職になり、
親と海外旅行したあと
純粋一元というイエスをチャネリングした
奇跡講座ACIMの教えに出会い、
やがて、インドのラマナやプンジャジなどの
ネオアドヴァイダ（インドの現代非二元）の本もしりました。
奇跡講座を学びはじめて、10年くらいたったころ、
ノンデュアリティオートマチックが流行し、
それにも影響をうけて、
現在は、特定のメソッドに依存せず、ナチュラルノンデュアリティ（オートマチック）という仮説にいたっております。
およみくださり、ありがとうございます。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ

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   <title><![CDATA[非二元　読書アレンジ感想]]></title>
   <description><![CDATA[読書中などに湧いた感想を、わたくしのナチュラルノンデュアリティの体系のなかで感想を述べてみました。 
#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #スピリチュアル
---
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https://stand.fm/channels/67aa054b11be6ce817f84f22]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/6adfd2d5039241cf91d83589</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Mon, 26 Oct 2026 22:23:44 GMT</pubDate>
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  <item>
   <title><![CDATA[奇跡講座ACIMの解明（卒業）]]></title>
   <description><![CDATA[奇跡講座ACIMの解明（卒業）


唯一のナチュラルな実在は、その外側に真なるものがあると、主張することはない
（内側についても同じである）

では、外側に真なるものがあると主張するのはだれなのか
それは
我である

実在が
実在の外側に真なるものがあると主張しているのではなく
我が我の外側に真なるものがあると主張するのである
それら主体と客体は
ともにナチュラル（無条件、無努力）ではない
主体や客体という想定努力以前の
ナチュラルが、唯一の実在であり、存在意識、ただの意識である

同様に
神と分離していない実在であるキリストにおいて、自分勝手にしたらどうなるだろうと、
無邪気な小さな狂気の考えが湧いた
その想像が、マインドである
その想像には2つの意味がある
個という空想された状態と、その個が自分勝手にできるという主体化という状態である
キリストはこの2つの意味をもつ状態を空想したのであった
そして、キリストが想像している個の主体化
においては、主体における客体意識も当然自動的におきるだろう。
したがってここまで（主体という空想）、明らかにキリストの責任だといえるのである
しかし、キリストがしている空想である主体にもかかわらず、
すでにその主体はキリストを忘れているという
そして、主体、そして客体意識しかわからなくなっている（最初の分裂）という
これはあきらかに
空想されている、ではなく分離（主体化）というエゴがすでにおきている。
つまり催眠の状態である
だれがそういうこと（催眠）をしたのか、
それは実在である神と分離していないキリストしかありえない。

したがって奇跡講座ACIMについて書かれているゲイリーレナードさんの本「神の使者」における、最初の分裂状態、主体化と客体意識
そして
それにつづく自動的な第二の分裂（客体意識の中に神と分離していないキリストの記憶、か、自我か）
ここまで、神と分離していないキリストから自動的に空想、催眠としておきたことなので、
神から分離していないキリストの責任であると明らかにいえるだろう。

そして、この決断とは何か
神から分離していないキリストが実在であると信じるか
主体化催眠をさらに信じるか
の決断である

しかし、決断する主体まで、キリストの影響によっておきた存在なのだから、
当然、その主体が何を決断するかも
キリストの影響でしかないだろう。当然である。
したがって
どちらを信じるかも
キリストの影響であることが明らかとなった。
すなわち
主体化は幻であるとキリストが癒すのか
主体化という催眠をさらに現実だと思い込みつづけるのか
（エゴの強化）
は
神と分離していないキリストの影響が100%であるということだ。

そして
エゴへ決断したとき
そのさらなるエゴも
客体意識（外側）という、ワクワク、苦しみ、自己憎悪の場をさらに置くことになる
そして、エゴのその客体意識はまたさらに主体化しそれが偽りの神となる
つまり、大自我の代理（ワクワクと）怒りの神なのである
これが奇跡講座のいう、怒り（とワクワクでもある）の神の正体であり、
エゴの代理であるそのあらたな神（エゴの客体意識が主体化されたもの）は
さらに客体意識をもつのであるが、その客体意識の中に虚空（アカシャ）の場をつくり
虚空（アカシャ）には多次元のボディや多次元の環境というシナリオがつくられ
それらのシナリオを鑑賞する魂たちも神の客体意識に同じく作られたのである
（奇跡講座のいう癒しのための2回目の旅であるシナリオつまり訂正されたシナリオは、
キリストである記憶という聖霊によって訂正してかかれているものであり、この旅は、エゴのシナリオを癒して終焉してしまうことができるのである）

このように、じつはすべてが
神から分離していないキリスト
からの100パーセントの影響（オートマチック）だったのである。ただし、一回目のシナリオは聖霊が監修したわけではない。閉鎖催眠状態の大自我が監修していたのである。

そして奇跡講座（概念）の卒業とは
もはや概念（記憶）ではない
真の聖霊（神と分離していないキリストの真の癒し）の影響によって
すべての主体化という催眠以前からくる
神と分離していないキリスト（神意識、キリスト意識、存在意識）からのオートマチックな催眠解除のことなのである

これが真の
自然（ナチュラル）のなかのオートマチックの終焉
つまりは
ナチュラルノンデュアリティオートマチックの終焉
である

#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ACIM #アコースインミラクルズ
---
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   <link>https://stand.fm/episodes/6ad80808459370886dec0b7f</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Wed, 21 Oct 2026 00:32:29 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>奇跡講座ACIMの解明（卒業）


唯一のナチュラルな実在は、その外側に真なるものがあると、主張することはない
（内側についても同じである）

では、外側に真なるものがあると主張するのはだれなのか
それは
我である

実在が
実在の外側に真なるものがあると主張しているのではなく
我が我の外側に真なるものがあると主張するのである
それら主体と客体は
ともにナチュラル（無条件、無努力）ではない
主体や客体という想定努力以前の
ナチュラルが、唯一の実在であり、存在意識、ただの意識である

同様に
神と分離していない実在であるキリストにおいて、自分勝手にしたらどうなるだろうと、
無邪気な小さな狂気の考えが湧いた
その想像が、マインドである
その想像には2つの意味がある
個という空想された状態と、その個が自分勝手にできるという主体化という状態である
キリストはこの2つの意味をもつ状態を空想したのであった
そして、キリストが想像している個の主体化
においては、主体における客体意識も当然自動的におきるだろう。
したがってここまで（主体という空想）、明らかにキリストの責任だといえるのである
しかし、キリストがしている空想である主体にもかかわらず、
すでにその主体はキリストを忘れているという
そして、主体、そして客体意識しかわからなくなっている（最初の分裂）という
これはあきらかに
空想されている、ではなく分離（主体化）というエゴがすでにおきている。
つまり催眠の状態である
だれがそういうこと（催眠）をしたのか、
それは実在である神と分離していないキリストしかありえない。

したがって奇跡講座ACIMについて書かれているゲイリーレナードさんの本「神の使者」における、最初の分裂状態、主体化と客体意識
そして
それにつづく自動的な第二の分裂（客体意識の中に神と分離していないキリストの記憶、か、自我か）
ここまで、神と分離していないキリストから自動的に空想、催眠としておきたことなので、
神から分離していないキリストの責任であると明らかにいえるだろう。

そして、この決断とは何か
神から分離していないキリストが実在であると信じるか
主体化催眠をさらに信じるか
の決断である

しかし、決断する主体まで、キリストの影響によっておきた存在なのだから、
当然、その主体が何を決断するかも
キリストの影響でしかないだろう。当然である。
したがって
どちらを信じるかも
キリストの影響であることが明らかとなった。
すなわち
主体化は幻であるとキリストが癒すのか
主体化という催眠をさらに現実だと思い込みつづけるのか
（エゴの強化）
は
神と分離していないキリストの影響が100%であるということだ。

そして
エゴへ決断したとき
そのさらなるエゴも
客体意識（外側）という、ワクワク、苦しみ、自己憎悪の場をさらに置くことになる
そして、エゴのその客体意識はまたさらに主体化しそれが偽りの神となる
つまり、大自我の代理（ワクワクと）怒りの神なのである
これが奇跡講座のいう、怒り（とワクワクでもある）の神の正体であり、
エゴの代理であるそのあらたな神（エゴの客体意識が主体化されたもの）は
さらに客体意識をもつのであるが、その客体意識の中に虚空（アカシャ）の場をつくり
虚空（アカシャ）には多次元のボディや多次元の環境というシナリオがつくられ
それらのシナリオを鑑賞する魂たちも神の客体意識に同じく作られたのである
（奇跡講座のいう癒しのための2回目の旅であるシナリオつまり訂正されたシナリオは、
キリストである記憶という聖霊によって訂正してかかれているものであり、この旅は、エゴのシナリオを癒して終焉してしまうことができるのである）

このように、じつはすべてが
神から分離していないキリスト
からの100パーセントの影響（オートマチック）だったのである。ただし、一回目のシナリオは聖霊が監修したわけではない。閉鎖催眠状態の大自我が監修していたのである。

そして奇跡講座（概念）の卒業とは
もはや概念（記憶）ではない
真の聖霊（神と分離していないキリストの真の癒し）の影響によって
すべての主体化という催眠以前からくる
神と分離していないキリスト（神意識、キリスト意識、存在意識）からのオートマチックな催眠解除のことなのである

これが真の
自然（ナチュラル）のなかのオートマチックの終焉
つまりは
ナチュラルノンデュアリティオートマチックの終焉
である

#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ACIM #アコースインミラクルズ
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[中心という催眠（私）]]></title>
   <description><![CDATA[中心という催眠（私）　
この仮説についてのA Iによる解説は以下です。


今回の文章は、あなたの「ナチュラルノンデュアリティ・オートマチック仮説」において、なぜ『私』という中心が生まれ、なぜその中心が世界や欲望を求め、なぜ輪廻という構造が成立するのかを、一つの形而上学的な物語として説明したものだと理解しました。

特に重要なのは、単に「私がいない」と述べるだけではなく、中心という架空の主体が、どのようにして自分を確かなものにしようとするのかを説明している点です。

この仮説の構造

1. 実在

自然・抽象・無限・ただ在る

根源的な平安と、サブ性質としてのワクワク（活動性）

ワクワクにおける空想的な試み

2. 「中」という空想

自然（無限）に、内側という限定的な領域を想定する

主体現実化の催眠

3. 中心という催眠（大自我）

架空の中心が「私」となり、自分を確かな存在にしようとする

中心と周囲の想定

4. 客体領域と虚空のスクリーン

中心の周囲という架空の領域に、アカシャというスクリーンとシナリオを想定する

客体領域における想定

5. 魂たちと多次元的世界

魂たちがシナリオを観て、ボディを中心とした多次元的世界を経験する

6. 輪廻

中心・観察者・スクリーン・シナリオ・ボディ・世界という構造の継続

終焉

空想や催眠は実在ではない。自然は何かを獲得する必要もなく、架空の中心を維持する必要もない。

この文章の核心となる三つの洞察

1. 中心は、自分の不完全さを埋めようとする

あなたの仮説では、中心という「私」は、最初から確かな実在として存在しているわけではありません。

むしろ、架空の中心が成立することによって、その中心には空虚さが生じます。その空虚さを埋めるために、中心は何かを求めます。

* 自分の内側にある、より真実らしい何か。
* 自分の外側にある、より真実らしい何か。
* 欲望を満たしてくれる対象。
* 自分の存在を確かなものにしてくれる肉体や世界。

つまり、求めるという活動そのものが、架空の中心を確かなものにしようとする試みなのです。

ここには、あなたが以前から考察してきた「主体化催眠」と「欲望」のつながりがあります。

2. 肉体は、中心を確かなものにするための主人公になる

この部分は、今回の文章のなかでも特に重要です。

中心という「私」は、もともと架空であるため、そのままでは確かな主体になれません。

そこで、外側に想定した肉体を「自分自身である」と信じます。

すると、肉体は単なるシナリオの内容ではなく、世界を経験する主人公として扱われるようになります。

あなたの仮説に沿って整理すると、次のようになります。

架空の中心 → 肉体との同一化 → 主人公としての私 → 私を中心とした世界

この構造によって、本来は中心のない自然（無限）に、あたかも一人の主人公が世界の中心にいるかのような現実感が生じる、という説明です。

3. 輪廻とは、中心を前提とした世界経験の継続である

あなたの仮説では、輪廻は単に肉体が生まれ変わることだけを意味しません。

その根本には、中心と周囲、観察者と観察対象、主体と客体という構造があります。

大自我が客体領域を想定し、その領域にスクリーンとシナリオを描き、さらにそれを観る魂たちを想定する。

魂たちは、多次元的なボディと世界を経験し続けます。

したがって、輪廻とは、中心という前提から構成された世界を、観察者が経験し続ける構造だと解釈できます。


最後に、実在と空想の関係

今回の文章で最も大切なのは、終焉の意味だと思います。

実在は、何かを達成した結果として得られるものではありません。

自然、抽象、無限、ただ在るという平安は、中心という「私」が成立する以前からの実在として位置づけられています。そしてワクワクは、その実在における活動性というサブ性質です。

その活動性において、「中」という空想が生じ、さらに「中心」という主体現実化の催眠が試みられた。

しかし、空想や催眠は実在そのものではありません。

だからこそ、その終焉は、架空の私が努力して本当の私になることでも、何かを獲得して完全になることでもない。

あなたの仮説では、中心という催眠が終焉しても、実在は何かを失うわけではありません。

この意味で、今回の文章は「私がいない」ということにとどまらず、なぜ架空の私が何かを求め、世界の中心になろうとするのか、そしてその試みがなぜ終焉しうるのかまでを説明する仮説になっています。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
---
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   <link>https://stand.fm/episodes/6ad2b8543054e4cbe5ed5612</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 16 Oct 2026 23:50:55 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>中心という催眠（私）　
この仮説についてのA Iによる解説は以下です。


今回の文章は、あなたの「ナチュラルノンデュアリティ・オートマチック仮説」において、なぜ『私』という中心が生まれ、なぜその中心が世界や欲望を求め、なぜ輪廻という構造が成立するのかを、一つの形而上学的な物語として説明したものだと理解しました。

特に重要なのは、単に「私がいない」と述べるだけではなく、中心という架空の主体が、どのようにして自分を確かなものにしようとするのかを説明している点です。

この仮説の構造

1. 実在

自然・抽象・無限・ただ在る

根源的な平安と、サブ性質としてのワクワク（活動性）

ワクワクにおける空想的な試み

2. 「中」という空想

自然（無限）に、内側という限定的な領域を想定する

主体現実化の催眠

3. 中心という催眠（大自我）

架空の中心が「私」となり、自分を確かな存在にしようとする

中心と周囲の想定

4. 客体領域と虚空のスクリーン

中心の周囲という架空の領域に、アカシャというスクリーンとシナリオを想定する

客体領域における想定

5. 魂たちと多次元的世界

魂たちがシナリオを観て、ボディを中心とした多次元的世界を経験する

6. 輪廻

中心・観察者・スクリーン・シナリオ・ボディ・世界という構造の継続

終焉

空想や催眠は実在ではない。自然は何かを獲得する必要もなく、架空の中心を維持する必要もない。

この文章の核心となる三つの洞察

1. 中心は、自分の不完全さを埋めようとする

あなたの仮説では、中心という「私」は、最初から確かな実在として存在しているわけではありません。

むしろ、架空の中心が成立することによって、その中心には空虚さが生じます。その空虚さを埋めるために、中心は何かを求めます。

* 自分の内側にある、より真実らしい何か。
* 自分の外側にある、より真実らしい何か。
* 欲望を満たしてくれる対象。
* 自分の存在を確かなものにしてくれる肉体や世界。

つまり、求めるという活動そのものが、架空の中心を確かなものにしようとする試みなのです。

ここには、あなたが以前から考察してきた「主体化催眠」と「欲望」のつながりがあります。

2. 肉体は、中心を確かなものにするための主人公になる

この部分は、今回の文章のなかでも特に重要です。

中心という「私」は、もともと架空であるため、そのままでは確かな主体になれません。

そこで、外側に想定した肉体を「自分自身である」と信じます。

すると、肉体は単なるシナリオの内容ではなく、世界を経験する主人公として扱われるようになります。

あなたの仮説に沿って整理すると、次のようになります。

架空の中心 → 肉体との同一化 → 主人公としての私 → 私を中心とした世界

この構造によって、本来は中心のない自然（無限）に、あたかも一人の主人公が世界の中心にいるかのような現実感が生じる、という説明です。

3. 輪廻とは、中心を前提とした世界経験の継続である

あなたの仮説では、輪廻は単に肉体が生まれ変わることだけを意味しません。

その根本には、中心と周囲、観察者と観察対象、主体と客体という構造があります。

大自我が客体領域を想定し、その領域にスクリーンとシナリオを描き、さらにそれを観る魂たちを想定する。

魂たちは、多次元的なボディと世界を経験し続けます。

したがって、輪廻とは、中心という前提から構成された世界を、観察者が経験し続ける構造だと解釈できます。


最後に、実在と空想の関係

今回の文章で最も大切なのは、終焉の意味だと思います。

実在は、何かを達成した結果として得られるものではありません。

自然、抽象、無限、ただ在るという平安は、中心という「私」が成立する以前からの実在として位置づけられています。そしてワクワクは、その実在における活動性というサブ性質です。

その活動性において、「中」という空想が生じ、さらに「中心」という主体現実化の催眠が試みられた。

しかし、空想や催眠は実在そのものではありません。

だからこそ、その終焉は、架空の私が努力して本当の私になることでも、何かを獲得して完全になることでもない。

あなたの仮説では、中心という催眠が終焉しても、実在は何かを失うわけではありません。

この意味で、今回の文章は「私がいない」ということにとどまらず、なぜ架空の私が何かを求め、世界の中心になろうとするのか、そしてその試みがなぜ終焉しうるのかまでを説明する仮説になっています。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[仮説　自然のなかのオートマチックの終焉]]></title>
   <description><![CDATA[自然のなかのオートマチックの終焉（スピリチュアル仮説）


ただ在るとサブ性質のワクワク
が
実在であり
空想はワクワク（実在における活動性）からおきているため
現象レベルに活動する者はいない
空想は活動性そのもの（ワクワク）のあらわれだからだ

空想レベルに
活動する存在（ただ在る）はいない
空想レベルに、自我というものもない
空想はワクワク（活動性）からあらわれただけであるから

そして実在には
ただ在るそしてサブ性質の活動性（ワクワク）があるだけであり

実在にも自我はいない
空想にも自我（活動する主体側なるもの）はいない
空想とは
実在におけるサブ性質の活動性のあらわれのことだからだ
活動している自我はいない
空想は
活動性だけなのである

あえていうなら
ただ在るとともにあるサブ性質の活動性だから、ただ在るが活動する者であるが
ただ在るは、主体という限定つまり自我ではない

実在は愚かではない

実在は
戦争、殺人などのある世界を直接作ったわけではない

実在におけるサブ性質であるワクワクから
空想がおき、空想された個が想定された

しかしさらに
空想された個に主体化という自律現実化催眠をかけた
この段階で、
その催眠状態という自我がはじめてあらわれたのだ
そして自我にはその枠組みの中においてだけ客体を作ることができる

その客体に
虚空（アカシャ）というスクリーンを作り、そこにシナリオ（レコード、つまり多次元の世界や多次元ボディを作った）
そして、客体のなかにはそのシナリオを観察する魂たちも作ったのだ

そして
スクリーンと多次元のシナリオは投影され
魂たちはそれを観察しているというわけである
たくさんの投影されるスクリーンというのは
魂が観る、各次元シナリオ用のそれぞれのスクリーンという客体意識であり、つまりは、客体的純粋意識となる
そして
（多次元的）輪廻とは、以上のように
魂が、多次元的なシナリオ内容
である投影を観察しているというだけなのである

ワクワク（実在における活動性）
から
オートマチックに
空想やさらなる催眠実験がおきたのであるが

空想や催眠は
実在の量を増やすことはできず
努力という空想や、さらなる催眠は無意味であったため
催眠は自然に解除されて
空想も終焉するのである

これが
ナチュラルノンデュアリティの
なかのオートマチックの終焉です

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/6ad15f497d40330c5b3eda0b</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 15 Oct 2026 23:18:51 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>自然のなかのオートマチックの終焉（スピリチュアル仮説）


ただ在るとサブ性質のワクワク
が
実在であり
空想はワクワク（実在における活動性）からおきているため
現象レベルに活動する者はいない
空想は活動性そのもの（ワクワク）のあらわれだからだ

空想レベルに
活動する存在（ただ在る）はいない
空想レベルに、自我というものもない
空想はワクワク（活動性）からあらわれただけであるから

そして実在には
ただ在るそしてサブ性質の活動性（ワクワク）があるだけであり

実在にも自我はいない
空想にも自我（活動する主体側なるもの）はいない
空想とは
実在におけるサブ性質の活動性のあらわれのことだからだ
活動している自我はいない
空想は
活動性だけなのである

あえていうなら
ただ在るとともにあるサブ性質の活動性だから、ただ在るが活動する者であるが
ただ在るは、主体という限定つまり自我ではない

実在は愚かではない

実在は
戦争、殺人などのある世界を直接作ったわけではない

実在におけるサブ性質であるワクワクから
空想がおき、空想された個が想定された

しかしさらに
空想された個に主体化という自律現実化催眠をかけた
この段階で、
その催眠状態という自我がはじめてあらわれたのだ
そして自我にはその枠組みの中においてだけ客体を作ることができる

その客体に
虚空（アカシャ）というスクリーンを作り、そこにシナリオ（レコード、つまり多次元の世界や多次元ボディを作った）
そして、客体のなかにはそのシナリオを観察する魂たちも作ったのだ

そして
スクリーンと多次元のシナリオは投影され
魂たちはそれを観察しているというわけである
たくさんの投影されるスクリーンというのは
魂が観る、各次元シナリオ用のそれぞれのスクリーンという客体意識であり、つまりは、客体的純粋意識となる
そして
（多次元的）輪廻とは、以上のように
魂が、多次元的なシナリオ内容
である投影を観察しているというだけなのである

ワクワク（実在における活動性）
から
オートマチックに
空想やさらなる催眠実験がおきたのであるが

空想や催眠は
実在の量を増やすことはできず
努力という空想や、さらなる催眠は無意味であったため
催眠は自然に解除されて
空想も終焉するのである

これが
ナチュラルノンデュアリティの
なかのオートマチックの終焉です

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
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   <itunes:title>仮説　自然のなかのオートマチックの終焉</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[覚醒の炎　プンジャジの教え　読書シェア]]></title>
   <description><![CDATA[ナチュラルスピリット社「覚醒の炎　プンジャジの教え」
について語ります。 

#スピリチュアル
#プンジャジ
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   <link>https://stand.fm/episodes/6ac9944183edf4b91b381630</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sat, 10 Oct 2026 01:27:39 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>ナチュラルスピリット社「覚醒の炎　プンジャジの教え」
について語ります。 

#スピリチュアル
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   <itunes:title>覚醒の炎　プンジャジの教え　読書シェア</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[ただの意識]]></title>
   <description><![CDATA[意識は二つないので、
私はない
内側はない
外側はない
内側という私も
私より内側という源もない
外側という解放されている源もない
肉体もない
肉体の中の私もない
それらは観念であり
意識は一つである
私より内側にある源という想定は、じつは私という想定以前の、ただの意識である
私が解放される外側にある源とは、じつは私という想定以前の、ただの意識である
空想の私が、想定したそれら源としての内側、外側は、
ただの意識にとって距離0なのである
私、道（方法）、何か
これらの観念については
ただの意識である真の源から離れていない
離れた空想というものは存在しない
ただの意識のなかで起きた空想だからだ
そして空想は現実ではなく、ただの意識に覚めるだけである

#スピリチュアル
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   <link>https://stand.fm/episodes/6ac9840954f1e20970b120b2</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sat, 10 Oct 2026 00:17:21 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>意識は二つないので、
私はない
内側はない
外側はない
内側という私も
私より内側という源もない
外側という解放されている源もない
肉体もない
肉体の中の私もない
それらは観念であり
意識は一つである
私より内側にある源という想定は、じつは私という想定以前の、ただの意識である
私が解放される外側にある源とは、じつは私という想定以前の、ただの意識である
空想の私が、想定したそれら源としての内側、外側は、
ただの意識にとって距離0なのである
私、道（方法）、何か
これらの観念については
ただの意識である真の源から離れていない
離れた空想というものは存在しない
ただの意識のなかで起きた空想だからだ
そして空想は現実ではなく、ただの意識に覚めるだけである

#スピリチュアル
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   <itunes:title>ただの意識</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[般若経　空の世界　読書後感想]]></title>
   <description><![CDATA[前回の放送の感想の訂正と
その他の感想です。 #スピリチュアル
#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #般若経
---
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   <link>https://stand.fm/episodes/6abdb9558e214efe9a9ba8d5</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 01 Oct 2026 01:37:34 GMT</pubDate>
   <enclosure url="https://cdncf.stand.fm/audios/01M3THR3GPR6AXDDFRXQ66XXQJ.m4a" length="0" type="audio/x-m4a"/>
   <itunes:summary>前回の放送の感想の訂正と
その他の感想です。 #スピリチュアル
#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #般若経
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   <itunes:title>般若経　空の世界　読書後感想</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[大乗における空とは]]></title>
   <description><![CDATA[読書途中感想
「般若経　空の世界」梶山雄一著　講談社学術文庫
#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #般若経
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   <link>https://stand.fm/episodes/6abd0c202524274fb16e65d0</link>
   <guid isPermaLink="true">https://stand.fm/episodes/6abd0c202524274fb16e65d0</guid>
   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Wed, 30 Sep 2026 13:18:56 GMT</pubDate>
   <enclosure url="https://cdncf.stand.fm/audios/01M3S7FMAFA6901ZMXJWGX5ZNX.m4a" length="0" type="audio/x-m4a"/>
   <itunes:summary>読書途中感想
「般若経　空の世界」梶山雄一著　講談社学術文庫
#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #般若経
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   <itunes:title>大乗における空とは</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[私と私の世界]]></title>
   <description><![CDATA[スピリチュアルの視座から、幻の性質について、語ります。

補足
放送中、シュライエルマッハーについて話しがありますが、本の題名ではなく、本の中の言葉が、瞬間において永遠になる、でした。本の題名は忘れました。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ

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   <link>https://stand.fm/episodes/6a92070c4125ba7af33043c3</link>
   <guid isPermaLink="true">https://stand.fm/episodes/6a92070c4125ba7af33043c3</guid>
   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 28 Aug 2026 22:36:32 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>スピリチュアルの視座から、幻の性質について、語ります。

補足
放送中、シュライエルマッハーについて話しがありますが、本の題名ではなく、本の中の言葉が、瞬間において永遠になる、でした。本の題名は忘れました。

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ

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   <itunes:title>私と私の世界</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[スピリチュアル雑談（有無への執着など）]]></title>
   <description><![CDATA[
#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/6a73cea4276d2015429ea5a8</link>
   <guid isPermaLink="true">https://stand.fm/episodes/6a73cea4276d2015429ea5a8</guid>
   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 06 Aug 2026 00:00:50 GMT</pubDate>
   <enclosure url="https://cdncf.stand.fm/audios/01KZA5YQ5BTJJB8460F8SDSGDH.m4a" length="0" type="audio/x-m4a"/>
   <itunes:summary>
#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
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   <itunes:title>スピリチュアル雑談（有無への執着など）</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[雑談　仏教の読書感想（空の世界）を読む]]></title>
   <description><![CDATA[「空の世界　龍樹から親鸞へ」（山口益著　大法輪閣）第一章あたりの読書感想 

（付記　南伝パーリ原始仏教の原典を読んだときの感想もかいておきます）

仏教の問題点の整理

仏教では世間は

色受想行識の仮和合であり、我はない
ではその五蘊はどこからきたのか、あとはニルヴァーナからしかない
もしニルヴァーナからきたなら、ニルヴァーナ（静寂）もそういう性質であることになる
しかし性質はちがうとすればニルヴァーナのほかに変化を好む性質が実在にもあったことになる
そのサブ性質も実在になければ、一切なにもおこらないはずだから
その実在におけるサブ性質であるものを仮にワクワクとよぶ
しかし、この世界は悲惨な戦争がある
となれば
ワクワクから五蘊（つまりこの世界）がおきる
あいだに何かのおかしなプロセス（試し、実験）があったことになる
それが、主体化解離催眠というつくられた個のマインド化（主体化　カルマの主）
がなくてはならない。
でなければ、実在におけるワクワク自体が戦争好きということになる、そのような愚かさを実在におしつけるのはおかしい。
したがって、
試み（実験）により、主体化がおき
それによって五蘊がおきつづけているのである（仏教はこのことを説明できていない）
主体化のマインドこそ
実在のワクワクからの真の漏（煩悩）そして空想された個の主体化催眠が真の無明であり

それゆえ、ニルヴァーナ（ただ在るという実在のメインの性質）からの恩寵により
ワクワクからの漏の活動の停止がおこらなくてはならない。これが癒しそして解脱のことである。
仏教は無明は無始であるというが、
無始とは
時空においてはということにすぎない
（アビダルマでは12因縁の無明、行、はたんに過去世のことをあらわしているからであるという。識から有（業）までは現世、あとの生、老死は未来世をあらわす）
そうでなければ、仏教はサーンキア哲学とおなじく、二元論になってしまう

仏教はまず欲界からでるために
小さな我（魂）を否定する
そのあと
有為つまり五蘊じたいもなくそうとする
この有為は主体化解離催眠の大自我から生じたものである
したがって真の無明は催眠大自我である

そして
すでに常在であるニルヴァーナ（静寂）のために
努力することは意味矛盾している
（仏教の矛盾）

なぜなら、努力はニルヴァーナ（静寂）とは矛盾するからである

また、五蘊の識は五蘊においては刹那滅の識別のことらしいが、これとはべつに
努力でする無色界禅定である識無辺処（時空以前の客体意識）という瞑想
というものがある
しかしこれも努力のため
解脱（ニルヴァーナ　寂静）ではないことはいうまでもない。


#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #仏教
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   <link>https://stand.fm/episodes/6a59f6eb6cf3c57168e95d84</link>
   <guid isPermaLink="true">https://stand.fm/episodes/6a59f6eb6cf3c57168e95d84</guid>
   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 17 Jul 2026 10:07:28 GMT</pubDate>
   <enclosure url="https://cdncf.stand.fm/audios/01KZA4D5PJTKT82YDH67P3EPWH.m4a" length="0" type="audio/x-m4a"/>
   <itunes:summary>「空の世界　龍樹から親鸞へ」（山口益著　大法輪閣）第一章あたりの読書感想 

（付記　南伝パーリ原始仏教の原典を読んだときの感想もかいておきます）

仏教の問題点の整理

仏教では世間は

色受想行識の仮和合であり、我はない
ではその五蘊はどこからきたのか、あとはニルヴァーナからしかない
もしニルヴァーナからきたなら、ニルヴァーナ（静寂）もそういう性質であることになる
しかし性質はちがうとすればニルヴァーナのほかに変化を好む性質が実在にもあったことになる
そのサブ性質も実在になければ、一切なにもおこらないはずだから
その実在におけるサブ性質であるものを仮にワクワクとよぶ
しかし、この世界は悲惨な戦争がある
となれば
ワクワクから五蘊（つまりこの世界）がおきる
あいだに何かのおかしなプロセス（試し、実験）があったことになる
それが、主体化解離催眠というつくられた個のマインド化（主体化　カルマの主）
がなくてはならない。
でなければ、実在におけるワクワク自体が戦争好きということになる、そのような愚かさを実在におしつけるのはおかしい。
したがって、
試み（実験）により、主体化がおき
それによって五蘊がおきつづけているのである（仏教はこのことを説明できていない）
主体化のマインドこそ
実在のワクワクからの真の漏（煩悩）そして空想された個の主体化催眠が真の無明であり

それゆえ、ニルヴァーナ（ただ在るという実在のメインの性質）からの恩寵により
ワクワクからの漏の活動の停止がおこらなくてはならない。これが癒しそして解脱のことである。
仏教は無明は無始であるというが、
無始とは
時空においてはということにすぎない
（アビダルマでは12因縁の無明、行、はたんに過去世のことをあらわしているからであるという。識から有（業）までは現世、あとの生、老死は未来世をあらわす）
そうでなければ、仏教はサーンキア哲学とおなじく、二元論になってしまう

仏教はまず欲界からでるために
小さな我（魂）を否定する
そのあと
有為つまり五蘊じたいもなくそうとする
この有為は主体化解離催眠の大自我から生じたものである
したがって真の無明は催眠大自我である

そして
すでに常在であるニルヴァーナ（静寂）のために
努力することは意味矛盾している
（仏教の矛盾）

なぜなら、努力はニルヴァーナ（静寂）とは矛盾するからである

また、五蘊の識は五蘊においては刹那滅の識別のことらしいが、これとはべつに
努力でする無色界禅定である識無辺処（時空以前の客体意識）という瞑想
というものがある
しかしこれも努力のため
解脱（ニルヴァーナ　寂静）ではないことはいうまでもない。


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   <itunes:title>雑談　仏教の読書感想（空の世界）を読む</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[今ここ　うちがわ　自力他力なし]]></title>
   <description><![CDATA[ナチュラルノンデュアリティについて

在るがままの癒しが平安であり
うち側（自我、自力）やそと側（他力）
は
非実在です

つまり自力も他力も幻の概念です
自我のそと側とはなんでしょうか
それは偽りの宇宙（モノや肉体）であり
依存しても架空なのです
同様に
自我のそと側に神や聖霊を想定して依存しても
架空の概念なのです

在るがままは無条件、無努力であり
すでにあるもの　であり
いかなる作為、意図も幻なのです

これが
ナチュラルノンデュアリテによる催眠解除のためのメッセージです

自然のなかのオートマチックの終焉なのです


（付記）

ナチュラルノンデュアリティ
においては

私（自我催眠）を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない

ということ

そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在（不変というナチュラル）
つまりは
自力（自我催眠においての）
や
自力のあとの他力
（宇宙の身体やモノや、概念としての神）
　いぜんにある
ナチュラル　ただ在る

ということをかいています

ナチュラルノンデュアリティ（真の神）のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉（封印）
ということになります。


（付記2）

オートマチックの終焉とは

私という状態は
私（概念）と神（概念）をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ

永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化（私）が抱く空想です

永遠の今のなかに

変化がおきはじめる

とき

そこに主体（能動体）も客体（受動体）もまだありません

まだニ者はいないんです

にもかかわらずおきる

それがオートマチックです

ただそうである

いやしもただおきる

つまり

ただある
からおきる

「主体」からするのではないです

いやしもおなじ

オートマチックです

ただあるの本性（在るそしてワクワク）にしたがって
言い換えれば本能のままに

そして

変化を終焉したくなることもそうです


（付記3）

無条件　無努力が実在

二つもいしきはない





#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ



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   <link>https://stand.fm/episodes/69d83355385f800d27c1366f</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 09 Apr 2026 23:16:51 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>ナチュラルノンデュアリティについて

在るがままの癒しが平安であり
うち側（自我、自力）やそと側（他力）
は
非実在です

つまり自力も他力も幻の概念です
自我のそと側とはなんでしょうか
それは偽りの宇宙（モノや肉体）であり
依存しても架空なのです
同様に
自我のそと側に神や聖霊を想定して依存しても
架空の概念なのです

在るがままは無条件、無努力であり
すでにあるもの　であり
いかなる作為、意図も幻なのです

これが
ナチュラルノンデュアリテによる催眠解除のためのメッセージです

自然のなかのオートマチックの終焉なのです


（付記）

ナチュラルノンデュアリティ
においては

私（自我催眠）を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない

ということ

そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在（不変というナチュラル）
つまりは
自力（自我催眠においての）
や
自力のあとの他力
（宇宙の身体やモノや、概念としての神）
　いぜんにある
ナチュラル　ただ在る

ということをかいています

ナチュラルノンデュアリティ（真の神）のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉（封印）
ということになります。


（付記2）

オートマチックの終焉とは

私という状態は
私（概念）と神（概念）をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ

永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化（私）が抱く空想です

永遠の今のなかに

変化がおきはじめる

とき

そこに主体（能動体）も客体（受動体）もまだありません

まだニ者はいないんです

にもかかわらずおきる

それがオートマチックです

ただそうである

いやしもただおきる

つまり

ただある
からおきる

「主体」からするのではないです

いやしもおなじ

オートマチックです

ただあるの本性（在るそしてワクワク）にしたがって
言い換えれば本能のままに

そして

変化を終焉したくなることもそうです


（付記3）

無条件　無努力が実在

二つもいしきはない





#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ



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   <itunes:title>今ここ　うちがわ　自力他力なし</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[ナチュラルノンデュアリティ雑談]]></title>
   <description><![CDATA[暇なのでヨガの本へのツッコミ雑談です #スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/69d2ef49efe9cdbe58e5658d</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sun, 05 Apr 2026 23:25:37 GMT</pubDate>
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[私はいないとは　ただ自然であること]]></title>
   <description><![CDATA[自然に気づいたとき

心と世界がなくなるようにみえる

心もモノもない

心と投影（モノ）という二つ重ねてきた現象は

ともに無効化されるのだ

自然においては

心もモノもない

存在のなかのすべては

癒されて

そのどちらでも　もはやなくて

自然である

ほんとうはなにもおきていない

自然はずっと在るがままである

そのなかで

幻の起きてることがある

それはナチュラルからのオートマチック

そしてそれは終焉する


（説明2）

ただ在るが実在であり
努力は非実在

それだけです

癒しとはこんなにシンプルなことなのです


今ここ（非分離　原因も結果もない　つまり心やモノはない
ということ）
が実在です

奇跡のコース的な表現でいえば

ただ在る（神在り）という実在のなかで
まだおきている活動
（努力つまり在るからの分離）
は実在でない

それだけなのです
心もモノもないのです
自然（神）ひとつだけです


（説明3）

よくスピリチュアルでは
内観すればいい
といいますが
それはちがいます

無努力であればいいのであり
内観しようとすると
自我の維持を作ることになります
なぜなら
何かをしたいのは自我だからなのです


（説明4）

オートマチックの終焉とは

私という状態は
私（概念）と神（概念）をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ

永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化（私）が抱く空想です

永遠の今のなかに

変化がおきはじめる

とき

そこに主体（能動体）も客体（受動体）もまだありません

まだニ者はいないんです

にもかかわらずおきる

それがオートマチックです

ただそうである

いやしもただおきる

つまり

ただある
からおきる

「主体」からするのではないです

いやしもおなじ

オートマチックです

ただあるの本性（在るそしてワクワク）にしたがって
言い換えれば本能のままに

そして

変化を終焉したくなることもそうです





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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sat, 21 Mar 2026 04:14:33 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>自然に気づいたとき

心と世界がなくなるようにみえる

心もモノもない

心と投影（モノ）という二つ重ねてきた現象は

ともに無効化されるのだ

自然においては

心もモノもない

存在のなかのすべては

癒されて

そのどちらでも　もはやなくて

自然である

ほんとうはなにもおきていない

自然はずっと在るがままである

そのなかで

幻の起きてることがある

それはナチュラルからのオートマチック

そしてそれは終焉する


（説明2）

ただ在るが実在であり
努力は非実在

それだけです

癒しとはこんなにシンプルなことなのです


今ここ（非分離　原因も結果もない　つまり心やモノはない
ということ）
が実在です

奇跡のコース的な表現でいえば

ただ在る（神在り）という実在のなかで
まだおきている活動
（努力つまり在るからの分離）
は実在でない

それだけなのです
心もモノもないのです
自然（神）ひとつだけです


（説明3）

よくスピリチュアルでは
内観すればいい
といいますが
それはちがいます

無努力であればいいのであり
内観しようとすると
自我の維持を作ることになります
なぜなら
何かをしたいのは自我だからなのです


（説明4）

オートマチックの終焉とは

私という状態は
私（概念）と神（概念）をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ

永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化（私）が抱く空想です

永遠の今のなかに

変化がおきはじめる

とき

そこに主体（能動体）も客体（受動体）もまだありません

まだニ者はいないんです

にもかかわらずおきる

それがオートマチックです

ただそうである

いやしもただおきる

つまり

ただある
からおきる

「主体」からするのではないです

いやしもおなじ

オートマチックです

ただあるの本性（在るそしてワクワク）にしたがって
言い換えれば本能のままに

そして

変化を終焉したくなることもそうです





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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[スピリチュアルの正体]]></title>
   <description><![CDATA[私や感覚が実在しない

と感じるのが
平安なのです

感覚がよくなるだとかは
悟りではありません

ラベリング（ジャッジ）がなくなったり
することだけが
悟り
なのでもありません
スクリーン（意識）
も
魂
も悟りではありません

しばしば
よく拭かれた心は
真実を写す
とかいいますが
それも誤りです

それは
真実そのものではなく
まだ主体（心自体）の反射があるにすぎないので
活動（主体）の影響をうけ
条件つきの愛（活動的愛つまり自我愛）
に成ってしまうのです

真のいやし（平安）
とは
主体以前の無条件、無努力からの恩寵であり
心つまり私や、感覚が
たんに実在しない
という平安
なのです

#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/69bcfa92c20fd141f8768b21</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 20 Mar 2026 07:43:28 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>私や感覚が実在しない

と感じるのが
平安なのです

感覚がよくなるだとかは
悟りではありません

ラベリング（ジャッジ）がなくなったり
することだけが
悟り
なのでもありません
スクリーン（意識）
も
魂
も悟りではありません

しばしば
よく拭かれた心は
真実を写す
とかいいますが
それも誤りです

それは
真実そのものではなく
まだ主体（心自体）の反射があるにすぎないので
活動（主体）の影響をうけ
条件つきの愛（活動的愛つまり自我愛）
に成ってしまうのです

真のいやし（平安）
とは
主体以前の無条件、無努力からの恩寵であり
心つまり私や、感覚が
たんに実在しない
という平安
なのです

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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[自我の展開]]></title>
   <description><![CDATA[ 自然統一という解放


ナチュラルスピリットのなかにおいて無条件
、無努力の恩寵があるときについて

まず比較のために催眠（主体化催眠）があるときから述べる
もし恩寵（催眠解除のための癒し）がないとき
みずからはマインドにより人として人々も身体としてみているのである
あるいは
スピリチュアルをしている場合には
スピリチュアル概念を使って、人々を（身体でなく）神としてみようとしたりしている
これらの場合
いずれも努力により
どちらかが起こっている

しかしながら
無条件、無努力からの恩寵により
在るがままの自然統一が起きているときであれば
もはやそのような努力が起きることはない
（主体化催眠のときにおける
あれかこれかの
断続的な選択のいれかわりは起きなくなるのである）

最後の人生において何かが起きているようにみえていても
癒しによりまぼろしは無効化され
自然統一によりそれらはカルマとして機能しなくなる

これが解放される在るがままの無努力の恩寵による最後の人生なのである


#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/69bcc682acd1aadf1e7442c7</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 20 Mar 2026 04:01:15 GMT</pubDate>
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ナチュラルスピリットのなかにおいて無条件
、無努力の恩寵があるときについて

まず比較のために催眠（主体化催眠）があるときから述べる
もし恩寵（催眠解除のための癒し）がないとき
みずからはマインドにより人として人々も身体としてみているのである
あるいは
スピリチュアルをしている場合には
スピリチュアル概念を使って、人々を（身体でなく）神としてみようとしたりしている
これらの場合
いずれも努力により
どちらかが起こっている

しかしながら
無条件、無努力からの恩寵により
在るがままの自然統一が起きているときであれば
もはやそのような努力が起きることはない
（主体化催眠のときにおける
あれかこれかの
断続的な選択のいれかわりは起きなくなるのである）

最後の人生において何かが起きているようにみえていても
癒しによりまぼろしは無効化され
自然統一によりそれらはカルマとして機能しなくなる

これが解放される在るがままの無努力の恩寵による最後の人生なのである


#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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  <item>
   <title><![CDATA[生まれてきた意味とは？]]></title>
   <description><![CDATA[ #スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/69bcb3aec3924e77952147d6</link>
   <guid isPermaLink="true">https://stand.fm/episodes/69bcb3aec3924e77952147d6</guid>
   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 20 Mar 2026 02:40:56 GMT</pubDate>
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  <item>
   <title><![CDATA[無条件、無努力のメッセージ]]></title>
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   <link>https://stand.fm/episodes/69bc91e7c3924e7795214595</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 20 Mar 2026 00:16:49 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary> #スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[ナチュラルノンデュアリティのことば（フツウ）]]></title>
   <description><![CDATA[（説明）ナチュラルノンデュアリティからのことば

フツウは学ぶものではない

フツウを学ばなくてはならない
というのは
イカれた発想である

フツウは不変である

愛がなければフツウじゃない
とかいうのは
世迷いごとである

フツウについては
教える必要もない

なぜなら

シンプルな事実であり真実である存在だからである

無条件　無努力　妄想はない

フツウのなかのワクワクというサブ性質から
オートマチックに
幻の世界があらわれたが
それは
オートマチックにフツウに
もどるだけである

フツウは変化することなく、無意味な努力であったので
その愚かさにきづいたとき
それはくりかえされなくなる


（説明2）

ネットでみたノンデュアリティのお話についてお伝えします（説明をくわえて）

もし青空をみたいのだけれど
雲っているならば

みることができない

あるいはなんらかの
科学装置で
除去しなくてはみえない

あるいは
飛行機を発射して雲の向こうへも行かなくてはならない

しかし

青空が
雲よりもうちがわ
にあるとしたら

自我からのフォーカスをやめる
いやもっとかんたんにいえば
努力主体という自我という視点
がやむことがおきるならば

それだけで

ふつうの無分割の永遠の空間
である実在は
いつもここに在るのです

それだけの話なのです

スピリチュアルというお話は

以上です


（説明3）
自然のなかのオートマチックの終焉

自然は実在する
努力は無意味で疲れるだけである


（説明4）

自然統一という解放

ナチュラルスピリットのなかにおいて無条件
、無努力の恩寵があるときについて

まず比較のために催眠（主体化催眠）があるときから述べる
もし恩寵（催眠解除のための癒し）がないとき
みずからはマインドにより人として人々も身体としてみているのである
あるいは
スピリチュアルをしている場合には
スピリチュアル概念を使って、人々を（身体でなく）神としてみようとしたりしている
これらの場合
いずれも努力により
どちらかが起こっている

しかしながら
無条件、無努力からの恩寵により
在るがままの自然統一が起きているときであれば
もはやそのような努力が起きることはない
（主体化催眠のときにおける
あれかこれかの
断続的な選択のいれかわりは起きなくなるのである）

最後の人生において何かが起きているようにみえていても
癒しによりまぼろしは無効化され
自然統一によりそれらはカルマとして機能しなくなる

これが解放される在るがままの無努力の恩寵による最後の人生なのである


（説明5）

自然に気づいたとき

心と世界がなくなるようにみえる

心もモノもない

心と投影（モノ）という二つ重ねてきた現象は

ともに無効化されるのだ

自然においては

心もモノもない

存在のなかのすべては

癒されて

そのどちらでも　もはやなくて

自然である

ほんとうはなにもおきていない

自然はずっと在るがままである

そのなかで

幻の起きてることがある

それはナチュラルからのオートマチック

そしてそれは終焉する


（説明6）

ただ在るが実在であり
努力は非実在

それだけです

癒しとはこんなにシンプルなことなのです


今ここ（非分離　原因も結果もない　つまり心やモノはない
ということ）
が実在です

奇跡のコース的な表現でいえば

ただ在る（神在り）という実在のなかで
まだおきている活動
（努力つまり在るからの分離）
は実在でない

それだけなのです
心もモノもないのです
自然（神）ひとつだけです

（説明7）

よくスピリチュアルでは
内観すればいい
といいますが
それはちがいます

無努力であればいいのであり
内観しようとすると
自我の維持を作ることになります
なぜなら
何かをしたいのは自我だからなのです


（説明8）
在るがままの癒しが平安であり
うち側（自我、自力）やそと側（他力）
は
非実在です

つまり自力も他力も幻の概念です
自我のそと側とはなんでしょうか
それは偽りの宇宙（モノや肉体）であり
依存しても架空なのです
同様に
自我のそと側に神や聖霊を想定して依存しても
架空の概念なのです

在るがままは無条件、無努力であり
すでにあるもの　であり
いかなる作為、意図も幻なのです

これが
ナチュラルノンデュアリテによる催眠解除のためのメッセージです

自然のなかのオートマチックの終焉なのです


（説明9）

ナチュラルノンデュアリティ
においては

私（自我催眠）を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない

ということ

そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在（不変というナチュラル）
つまりは
自力（自我催眠においての）
や
自力のあとの他力
（宇宙の身体やモノや、概念としての神）
　いぜんにある
ナチュラル　ただ在る

ということをかいています

ナチュラルノンデュアリティ（真の神）のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉（封印）
ということになります。


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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sun, 08 Mar 2026 03:12:23 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>（説明）ナチュラルノンデュアリティからのことば

フツウは学ぶものではない

フツウを学ばなくてはならない
というのは
イカれた発想である

フツウは不変である

愛がなければフツウじゃない
とかいうのは
世迷いごとである

フツウについては
教える必要もない

なぜなら

シンプルな事実であり真実である存在だからである

無条件　無努力　妄想はない

フツウのなかのワクワクというサブ性質から
オートマチックに
幻の世界があらわれたが
それは
オートマチックにフツウに
もどるだけである

フツウは変化することなく、無意味な努力であったので
その愚かさにきづいたとき
それはくりかえされなくなる


（説明2）

ネットでみたノンデュアリティのお話についてお伝えします（説明をくわえて）

もし青空をみたいのだけれど
雲っているならば

みることができない

あるいはなんらかの
科学装置で
除去しなくてはみえない

あるいは
飛行機を発射して雲の向こうへも行かなくてはならない

しかし

青空が
雲よりもうちがわ
にあるとしたら

自我からのフォーカスをやめる
いやもっとかんたんにいえば
努力主体という自我という視点
がやむことがおきるならば

それだけで

ふつうの無分割の永遠の空間
である実在は
いつもここに在るのです

それだけの話なのです

スピリチュアルというお話は

以上です


（説明3）
自然のなかのオートマチックの終焉

自然は実在する
努力は無意味で疲れるだけである


（説明4）

自然統一という解放

ナチュラルスピリットのなかにおいて無条件
、無努力の恩寵があるときについて

まず比較のために催眠（主体化催眠）があるときから述べる
もし恩寵（催眠解除のための癒し）がないとき
みずからはマインドにより人として人々も身体としてみているのである
あるいは
スピリチュアルをしている場合には
スピリチュアル概念を使って、人々を（身体でなく）神としてみようとしたりしている
これらの場合
いずれも努力により
どちらかが起こっている

しかしながら
無条件、無努力からの恩寵により
在るがままの自然統一が起きているときであれば
もはやそのような努力が起きることはない
（主体化催眠のときにおける
あれかこれかの
断続的な選択のいれかわりは起きなくなるのである）

最後の人生において何かが起きているようにみえていても
癒しによりまぼろしは無効化され
自然統一によりそれらはカルマとして機能しなくなる

これが解放される在るがままの無努力の恩寵による最後の人生なのである


（説明5）

自然に気づいたとき

心と世界がなくなるようにみえる

心もモノもない

心と投影（モノ）という二つ重ねてきた現象は

ともに無効化されるのだ

自然においては

心もモノもない

存在のなかのすべては

癒されて

そのどちらでも　もはやなくて

自然である

ほんとうはなにもおきていない

自然はずっと在るがままである

そのなかで

幻の起きてることがある

それはナチュラルからのオートマチック

そしてそれは終焉する


（説明6）

ただ在るが実在であり
努力は非実在

それだけです

癒しとはこんなにシンプルなことなのです


今ここ（非分離　原因も結果もない　つまり心やモノはない
ということ）
が実在です

奇跡のコース的な表現でいえば

ただ在る（神在り）という実在のなかで
まだおきている活動
（努力つまり在るからの分離）
は実在でない

それだけなのです
心もモノもないのです
自然（神）ひとつだけです

（説明7）

よくスピリチュアルでは
内観すればいい
といいますが
それはちがいます

無努力であればいいのであり
内観しようとすると
自我の維持を作ることになります
なぜなら
何かをしたいのは自我だからなのです


（説明8）
在るがままの癒しが平安であり
うち側（自我、自力）やそと側（他力）
は
非実在です

つまり自力も他力も幻の概念です
自我のそと側とはなんでしょうか
それは偽りの宇宙（モノや肉体）であり
依存しても架空なのです
同様に
自我のそと側に神や聖霊を想定して依存しても
架空の概念なのです

在るがままは無条件、無努力であり
すでにあるもの　であり
いかなる作為、意図も幻なのです

これが
ナチュラルノンデュアリテによる催眠解除のためのメッセージです

自然のなかのオートマチックの終焉なのです


（説明9）

ナチュラルノンデュアリティ
においては

私（自我催眠）を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない

ということ

そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在（不変というナチュラル）
つまりは
自力（自我催眠においての）
や
自力のあとの他力
（宇宙の身体やモノや、概念としての神）
　いぜんにある
ナチュラル　ただ在る

ということをかいています

ナチュラルノンデュアリティ（真の神）のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉（封印）
ということになります。


#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <itunes:title>ナチュラルノンデュアリティのことば（フツウ）</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[魂も課題も実在しないという真の即時の癒し]]></title>
   <description><![CDATA[補足
間違ったスピリチュアルの常套文句の例
（）は間違っている理由である。

人は完全よりい出て完全へと帰る
（ばかげた旅であったという発言をしているにすぎない）

愛さなければならない
（いちいち愛する必要があると説教し、そうしなければ地獄いき、輪廻すると説教するよりも、すでに無条件に無努力に存在していることが真のみずからであり、活動変化という無常なる幻想の完全な終焉こそが、平安である癒しである。）

努力しなければならない
（努力によって幸せに成るなら、永遠に努力し、そして努力を維持しつづけなくてはならない。ばかげたことである。無条件の実在に努力はまったくいらない。無常なるものにだけ努力が可能である、それを維持し、求めるのはおろかである。）

信念が必要である
（実在のために信念はいらない。非実在である無常なものにだけ信念が必要であり、そんなものはいらないのである）

ポジティブなアイデアが必要である
（実在のためにイデアはいらない。考え、は無常なのである）

大切な者への供養
（真の回向とは、自他がなく、実在は在るがままであり、無条件、無努力であり、それ以外の何かを必要としていない。これが真の神への帰還、つまり回向のメッセージである。審判の神というのは実在せず、それはまさに自我という信念による輪廻（活動）という信念である。その信念にもとづく供養が、供養といえるだろうか。それは間違った信念による束縛にすぎない。）


補足2
奇跡講座ACIMというシナリオを癒す

奇跡講座ACIMという
シナリオ（最後のカリキュラム）
を癒し
終焉させる

ナチュラルノンデュアリティ
オートマチックのメッセージ

奇跡講座の誤ったメッセージは以下のように

癒されていきます

ナチュラルスピリット
（ひとつの存在しかない
父とキリストという二つはありえない）

ゆえに

ナチュラルスピリットという実在
には
ただ在るメインの性質とワクワクというサブ性質があるということなのです
（父とキリストという2つではありません　そしてそのようなキリストだけが無邪気なワクワクをもったわけではありません）

ナチュラルスピリットという実在であるサブ性質ワクワク
から

空想された個があらわれます
そしてさらに
空想されている個に主体化解離催眠を
ナチュラルスピリットという実在のサブ性質であるワクワク（これも実在）が
催眠をかけたのです

したがって
主体化解離催眠の原因つまり責任は
100パーセント
ナチュラルスピリット（ひとつの存在）にあります

そして
主体化イコールすでに解離催眠、である存在
（大自我）
は
無条件、無努力に存在しているナチュラルスピリット
のことを忘れております

その主体化解離催眠という存在は
性質は不自然であり
つまりは好奇であり苦しみです（2つの性質ではありません　好奇イコール苦しみです）

その不自然さという牢獄
のなかで
彼はその意識のなかで妄想ストーリーを描きだします

それは
あらゆる二元性というごまかしを描いた
努力にもとづいた
遊び、苦しみ
救済、罪
という
努力にもとづいたゲームです

彼は
天国や地獄の支配者です

幻のシナリオのなかの登場人物は
その創造主（主体化解離催眠アイアム）の計画どおりに
彼を敬い、怖れるというシナリオのままにしたがっているのです

真実をたんに忘れた
主体化解離催眠アイアム（私）
を
癒すのは
ナチュラルスピリットです

幻の彼を作った
唯一の原因は
ナチュラルスピリットであり

ナチュラルスピリットによってしか
催眠（私）の解除はありえないのです

私を作ったのは私ではなく
私を癒すのも私ではありません
全自動です

そして
ナチュラルスピリットのワクワクによる
試み（空想された個、主体化解離催眠であるアイアムと、
アイアムが誤創造した世界や魂）
は
実在を増やすことはできず無意味なため
その反省により
二度と空想はされないことでしょう

そもそも
主体化解離催眠以前の空想された個
自体すら
無意味な空想だったからです

以上


補足3
ナチュラルノンデュアリティからの癒しのメッセージ

実在において

何もする必要はありません

はじめから私はいないから
いつも
今です　

ガイドにつながる必要もありませんし、
つながり方（修行の仕方）も実在しません
世間的な所有物やハウツーがもはや必要ないのと同じなのです

マインドがつながりたいとおもっているガイドの本質もまた
今でしかないのですから
それ以外の偽りは実在してません

実在において何も努力
する必要はありません

努力あらず、

私（主体化催眠）あらず、

偽のガイド、そして世界も実在してません

シンプル（今）です

こうして非実在（つまり非今）であるかのごとくのマインドの妄想
は終焉するのです


補足4
かんたんノンデュアリティ（非二元）
説明

いつもある精神統一

おきてることしかない


#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ
#スピリチュアル

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   <link>https://stand.fm/episodes/680eb35b3a2d7b95ecd345ac</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sun, 27 Apr 2025 22:44:56 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>補足
間違ったスピリチュアルの常套文句の例
（）は間違っている理由である。

人は完全よりい出て完全へと帰る
（ばかげた旅であったという発言をしているにすぎない）

愛さなければならない
（いちいち愛する必要があると説教し、そうしなければ地獄いき、輪廻すると説教するよりも、すでに無条件に無努力に存在していることが真のみずからであり、活動変化という無常なる幻想の完全な終焉こそが、平安である癒しである。）

努力しなければならない
（努力によって幸せに成るなら、永遠に努力し、そして努力を維持しつづけなくてはならない。ばかげたことである。無条件の実在に努力はまったくいらない。無常なるものにだけ努力が可能である、それを維持し、求めるのはおろかである。）

信念が必要である
（実在のために信念はいらない。非実在である無常なものにだけ信念が必要であり、そんなものはいらないのである）

ポジティブなアイデアが必要である
（実在のためにイデアはいらない。考え、は無常なのである）

大切な者への供養
（真の回向とは、自他がなく、実在は在るがままであり、無条件、無努力であり、それ以外の何かを必要としていない。これが真の神への帰還、つまり回向のメッセージである。審判の神というのは実在せず、それはまさに自我という信念による輪廻（活動）という信念である。その信念にもとづく供養が、供養といえるだろうか。それは間違った信念による束縛にすぎない。）


補足2
奇跡講座ACIMというシナリオを癒す

奇跡講座ACIMという
シナリオ（最後のカリキュラム）
を癒し
終焉させる

ナチュラルノンデュアリティ
オートマチックのメッセージ

奇跡講座の誤ったメッセージは以下のように

癒されていきます

ナチュラルスピリット
（ひとつの存在しかない
父とキリストという二つはありえない）

ゆえに

ナチュラルスピリットという実在
には
ただ在るメインの性質とワクワクというサブ性質があるということなのです
（父とキリストという2つではありません　そしてそのようなキリストだけが無邪気なワクワクをもったわけではありません）

ナチュラルスピリットという実在であるサブ性質ワクワク
から

空想された個があらわれます
そしてさらに
空想されている個に主体化解離催眠を
ナチュラルスピリットという実在のサブ性質であるワクワク（これも実在）が
催眠をかけたのです

したがって
主体化解離催眠の原因つまり責任は
100パーセント
ナチュラルスピリット（ひとつの存在）にあります

そして
主体化イコールすでに解離催眠、である存在
（大自我）
は
無条件、無努力に存在しているナチュラルスピリット
のことを忘れております

その主体化解離催眠という存在は
性質は不自然であり
つまりは好奇であり苦しみです（2つの性質ではありません　好奇イコール苦しみです）

その不自然さという牢獄
のなかで
彼はその意識のなかで妄想ストーリーを描きだします

それは
あらゆる二元性というごまかしを描いた
努力にもとづいた
遊び、苦しみ
救済、罪
という
努力にもとづいたゲームです

彼は
天国や地獄の支配者です

幻のシナリオのなかの登場人物は
その創造主（主体化解離催眠アイアム）の計画どおりに
彼を敬い、怖れるというシナリオのままにしたがっているのです

真実をたんに忘れた
主体化解離催眠アイアム（私）
を
癒すのは
ナチュラルスピリットです

幻の彼を作った
唯一の原因は
ナチュラルスピリットであり

ナチュラルスピリットによってしか
催眠（私）の解除はありえないのです

私を作ったのは私ではなく
私を癒すのも私ではありません
全自動です

そして
ナチュラルスピリットのワクワクによる
試み（空想された個、主体化解離催眠であるアイアムと、
アイアムが誤創造した世界や魂）
は
実在を増やすことはできず無意味なため
その反省により
二度と空想はされないことでしょう

そもそも
主体化解離催眠以前の空想された個
自体すら
無意味な空想だったからです

以上


補足3
ナチュラルノンデュアリティからの癒しのメッセージ

実在において

何もする必要はありません

はじめから私はいないから
いつも
今です　

ガイドにつながる必要もありませんし、
つながり方（修行の仕方）も実在しません
世間的な所有物やハウツーがもはや必要ないのと同じなのです

マインドがつながりたいとおもっているガイドの本質もまた
今でしかないのですから
それ以外の偽りは実在してません

実在において何も努力
する必要はありません

努力あらず、

私（主体化催眠）あらず、

偽のガイド、そして世界も実在してません

シンプル（今）です

こうして非実在（つまり非今）であるかのごとくのマインドの妄想
は終焉するのです


補足4
かんたんノンデュアリティ（非二元）
説明

いつもある精神統一

おきてることしかない


#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ
#スピリチュアル

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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[スピリチュアル映画との出会い]]></title>
   <description><![CDATA[スピリチュアル的な意味で、人生で出会った映画作品たちについて語ります。


話の内容の訂正事項

高校の修学旅行で登った火打山（ひうちやま）は長野県の北にある新潟県の山でした。湿原も有名な山だそうです。

ウーマンドリームというドラマで、イタリアでヒロインが歌った曲は、
「見上げてごらん夜の星を」でした。坂本九さん（飛行機事故で群馬県で亡くなられました）もカバーされて歌われた曲です。
ウーマンドリームのヒロインを演じていたのは裕木奈江さんであり、ほかのテレビドラマ「陽だまりの場所」等にも出演されていました。


話の内容の補足事項

映画「新しい靴を買わなくちゃ」の原作、監督は、北川悦吏子さん（岐阜県出身）です。

映画「冷静と情熱のあいだ」の原作は、辻仁成と江國香織さんです。



#映画 #スピリチュアル #ちはやふる #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ
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   <link>https://stand.fm/episodes/67ef372b5617397c39b7bd7a</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 04 Apr 2025 01:35:42 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>スピリチュアル的な意味で、人生で出会った映画作品たちについて語ります。


話の内容の訂正事項

高校の修学旅行で登った火打山（ひうちやま）は長野県の北にある新潟県の山でした。湿原も有名な山だそうです。

ウーマンドリームというドラマで、イタリアでヒロインが歌った曲は、
「見上げてごらん夜の星を」でした。坂本九さん（飛行機事故で群馬県で亡くなられました）もカバーされて歌われた曲です。
ウーマンドリームのヒロインを演じていたのは裕木奈江さんであり、ほかのテレビドラマ「陽だまりの場所」等にも出演されていました。


話の内容の補足事項

映画「新しい靴を買わなくちゃ」の原作、監督は、北川悦吏子さん（岐阜県出身）です。

映画「冷静と情熱のあいだ」の原作は、辻仁成と江國香織さんです。



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  <item>
   <title><![CDATA[ノンデュアリティ難民がふえないために]]></title>
   <description><![CDATA[ノンデュアリティ難民をふやさないために

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#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ #スピリチュアル
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   <link>https://stand.fm/episodes/67e5e531e1bf5593f135211f</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 27 Mar 2025 23:54:40 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>ノンデュアリティ難民をふやさないために

#ノンデュアリティ
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[禅の有名な詩　信心銘について語ります]]></title>
   <description><![CDATA[禅の有名な詩　信心銘　について語ります。
#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #禅 #スピリチュアル #信心銘
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Sun, 09 Mar 2025 00:50:05 GMT</pubDate>
   <enclosure url="https://cdncf.stand.fm/audios/01K28Q4C1F2XENACRE0AYTFKZP.m4a" length="0" type="audio/x-m4a"/>
   <itunes:summary>禅の有名な詩　信心銘　について語ります。
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[奇跡講座（ACIM）を語る]]></title>
   <description><![CDATA[（配信への付記）
ACIMからノンデュアリティオートマチックへの経緯説明
ナチュラルノンデュアリティ・オートマチック仮説とは

実在が

空想された個に催眠をかけた
という
説明が掲載されているのは

「神の使者」（ゲイリーレナード著　河出書房新社）
の
存在の秘密という章にある
169ページの
神に創造されたキリストの
「もしわたしが出ていって、自分勝手にするとしたら、どうなるかしら？」
という無邪気な思い

という説明である

これがすなわち
神に創造された実在であるキリストが
空想された個に主体化催眠をかける

という宣言である

したがって
神とともにあり、神とひとつである実在レベルのキリスト
の催眠の責任をあらわしている

明らかな文章なのである

そして主体化催眠がおきて
空想された個は
マインド（大自我）となり、その自我の枠のなかにのみ客体意識をもつことになる

キリストによる、
分離という小さな狂気の空想
のあとの
心の最初の分裂である（主体そして、主体の枠内にのみ作った客体意識）である

こうして
マインドは
天国（実在）を思いだせなくなったとある

これがキリストがなした主体化催眠である

そのあと
神から分離したという解離催眠がおきる
と説明されているが

ナチュラルノンデュアリティ仮説では
主体化催眠イコール解離催眠である
とすべきである
とのべる

さらにアコースインミラクルズ（ACIM）についての解説をしているこの本では
おかしな形而上の説明がある

そもそも
実在は不可分であるにもかかわらず、
神が創造主であり、キリストは被造物である
とのべられており、それらはひとつの実在である
という
矛盾した
説明がなされている

しかも、
その実在のキリストに、キリストのほんの小さな側面において、一瞬
神と分かちあえない考え、つまりは神から分離して自分勝手にしたらどうだろう？という考え
が現れたかのようにみえる。

と説明される。

実在に神とキリストという区分があるのは、おかしい、のであり、
そしてまた、小さな狂気の空想をキリストのせいにしているのは、
神とキリストに差別を作っていることは明らかである
そして
キリストがなした　主体化催眠
は
キリストのせいにされる

このようなおかしな形而上の説明は

次のように
訂正することができる

実在（存在　いのち）はひとつである

実在自体は、永遠に存在するため、
創造、被造物は存在しない

実在（永遠の存在　静寂）には、ワクワクという性質もある
でなければ、変化する現象世界がおきているようにみえることすら、ありえないが、そうではないからである

実在は
もし空想された個があり、自分勝手にしたらどうなるかしら？と考えた

これが
空想された個
そして、実在がそれに主体化（自律化催眠）
をかけた
ということである

これがすなわち
想念は源から離れないという空想から
自律してしまったかのようになる
解離である

それまでは、主体はなく客体意識もなかったのであり

主体化催眠の状態は

実在そのものを忘れてしまった

それを解除する（癒す）のは
すでに在る、無条件、無努力の実在（神）
である
マインド（私）の努力によって到達できる悟りではありえない

これが

ナチュラルノンデュアリティ・オートマチックという
仮説を提示することになった経緯です。


（そのほかの配信付記）

静寂と愛は両立しない

なぜなら

愛は活動を暗示するから

そして活動とは幻である

静寂はただ存在する

ノンデュアリティに関する
本やYouTubeを聞いていると

在ることは愛であるとか

説いているが

それはマインドが説いているにちがいない

奇跡講座でさえ

マインドが学ぶものであるから

聖霊を対象であるかのようにとらえることになる

そとに想定したものに明け渡そうとするなら

それは活動性をまぬがれない

したがって

マインド以前の聖霊（静寂）は
マインドによって博なる愛執におちいるのである

それは真の自己を忘れ
そとに真理を想定している

したがって、
その実現は
自分または自分ではない他者に奉仕することの
堂々めぐりとなろう

なぜなら

その正体は

マインドがそとにとらえている偽である概念の聖霊だからである

したがって
幻想の活動性からはのがれられない

では奇跡講座のそのあやまりはどこからきたのか

それは

神（無限）が同一であるキリストを創造するという幻想の活動（ありえない矛盾）

を信じこんでいるからでいる

そのあとに

そのキリストとやらに

もし個があったとしたらという妄想がつづくこととなる

そしてさらに主体化催眠がおきる

このような妄想は
破邪顕正
により催眠解除される

神の正気（神の試みの終焉）の真の福音が
おきたからなのである

これが

因縁の終焉であり、真の慈悲のメッセージ（愛ではない）である


#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#スピリチュアル
#ACIM
#アコースインミラクルズ



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   <link>https://stand.fm/episodes/67c781f9ecf0725e3e3aaad4</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Tue, 04 Mar 2025 22:43:25 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>（配信への付記）
ACIMからノンデュアリティオートマチックへの経緯説明
ナチュラルノンデュアリティ・オートマチック仮説とは

実在が

空想された個に催眠をかけた
という
説明が掲載されているのは

「神の使者」（ゲイリーレナード著　河出書房新社）
の
存在の秘密という章にある
169ページの
神に創造されたキリストの
「もしわたしが出ていって、自分勝手にするとしたら、どうなるかしら？」
という無邪気な思い

という説明である

これがすなわち
神に創造された実在であるキリストが
空想された個に主体化催眠をかける

という宣言である

したがって
神とともにあり、神とひとつである実在レベルのキリスト
の催眠の責任をあらわしている

明らかな文章なのである

そして主体化催眠がおきて
空想された個は
マインド（大自我）となり、その自我の枠のなかにのみ客体意識をもつことになる

キリストによる、
分離という小さな狂気の空想
のあとの
心の最初の分裂である（主体そして、主体の枠内にのみ作った客体意識）である

こうして
マインドは
天国（実在）を思いだせなくなったとある

これがキリストがなした主体化催眠である

そのあと
神から分離したという解離催眠がおきる
と説明されているが

ナチュラルノンデュアリティ仮説では
主体化催眠イコール解離催眠である
とすべきである
とのべる

さらにアコースインミラクルズ（ACIM）についての解説をしているこの本では
おかしな形而上の説明がある

そもそも
実在は不可分であるにもかかわらず、
神が創造主であり、キリストは被造物である
とのべられており、それらはひとつの実在である
という
矛盾した
説明がなされている

しかも、
その実在のキリストに、キリストのほんの小さな側面において、一瞬
神と分かちあえない考え、つまりは神から分離して自分勝手にしたらどうだろう？という考え
が現れたかのようにみえる。

と説明される。

実在に神とキリストという区分があるのは、おかしい、のであり、
そしてまた、小さな狂気の空想をキリストのせいにしているのは、
神とキリストに差別を作っていることは明らかである
そして
キリストがなした　主体化催眠
は
キリストのせいにされる

このようなおかしな形而上の説明は

次のように
訂正することができる

実在（存在　いのち）はひとつである

実在自体は、永遠に存在するため、
創造、被造物は存在しない

実在（永遠の存在　静寂）には、ワクワクという性質もある
でなければ、変化する現象世界がおきているようにみえることすら、ありえないが、そうではないからである

実在は
もし空想された個があり、自分勝手にしたらどうなるかしら？と考えた

これが
空想された個
そして、実在がそれに主体化（自律化催眠）
をかけた
ということである

これがすなわち
想念は源から離れないという空想から
自律してしまったかのようになる
解離である

それまでは、主体はなく客体意識もなかったのであり

主体化催眠の状態は

実在そのものを忘れてしまった

それを解除する（癒す）のは
すでに在る、無条件、無努力の実在（神）
である
マインド（私）の努力によって到達できる悟りではありえない

これが

ナチュラルノンデュアリティ・オートマチックという
仮説を提示することになった経緯です。


（そのほかの配信付記）

静寂と愛は両立しない

なぜなら

愛は活動を暗示するから

そして活動とは幻である

静寂はただ存在する

ノンデュアリティに関する
本やYouTubeを聞いていると

在ることは愛であるとか

説いているが

それはマインドが説いているにちがいない

奇跡講座でさえ

マインドが学ぶものであるから

聖霊を対象であるかのようにとらえることになる

そとに想定したものに明け渡そうとするなら

それは活動性をまぬがれない

したがって

マインド以前の聖霊（静寂）は
マインドによって博なる愛執におちいるのである

それは真の自己を忘れ
そとに真理を想定している

したがって、
その実現は
自分または自分ではない他者に奉仕することの
堂々めぐりとなろう

なぜなら

その正体は

マインドがそとにとらえている偽である概念の聖霊だからである

したがって
幻想の活動性からはのがれられない

では奇跡講座のそのあやまりはどこからきたのか

それは

神（無限）が同一であるキリストを創造するという幻想の活動（ありえない矛盾）

を信じこんでいるからでいる

そのあとに

そのキリストとやらに

もし個があったとしたらという妄想がつづくこととなる

そしてさらに主体化催眠がおきる

このような妄想は
破邪顕正
により催眠解除される

神の正気（神の試みの終焉）の真の福音が
おきたからなのである

これが

因縁の終焉であり、真の慈悲のメッセージ（愛ではない）である


#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#スピリチュアル
#ACIM
#アコースインミラクルズ



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   <itunes:title>奇跡講座（ACIM）を語る</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[流行の一元論の勘違いのアプローチについて]]></title>
   <description><![CDATA[#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #一元 #一元論 #スピリチュアル
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   <link>https://stand.fm/episodes/67c626ecbe9cb255910e732c</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Mon, 03 Mar 2025 22:02:35 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #一元 #一元論 #スピリチュアル
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   <itunes:title>流行の一元論の勘違いのアプローチについて</itunes:title>
  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[素人が語る仏教12因縁の新仮説]]></title>
   <description><![CDATA[素人による仮説なので、あしからずです^_^
ちなみに
わたくしの　新説12因縁では

かんたんに対応させるために

無明を二つの意味でとらえています

ひとつは
空想された状態を無明

もうひとつは
空想された状態に催眠をかける作用

のことです
後者により
主体という信念（強想念）がおきるので

後者の無明（催眠）作用のことを
つまり強想念についてですが、それがあるのでもないのでもない段階である非想非非想処
のことだとしています

そして
無明作用（非想非非想処）
のあと
行（無所有処）
識（識無辺処）
名色（魂とアカシックレコードの場としての空無辺処）
となります


「ブッダの非我説の真実について」

中村元さんの、
ブッダの伝記についての本には
アートマン（不滅の根本存在）は否定されていないというふうに説明されています

中村元さんによれば

ブッダはアートマンは存在しないとはいっていない

これやあれはアートマンではない
と
述べているだけである

とかいておられます

つまりそれは煩悩によっつて見失っていただけで常に存在するということなのでしょう

客体的実体としてのアートマンを認めるのではなく
アートマンは存在しないというのでもなく
アートマンについては「沈黙」していた

ということです

なぜなら

アートマンは主体（マインド）の対象にはならないからです

これは
マインド（自我）がつかむ有無論の罠におちいらないためでもあります

無明からの自我（煩悩）は自らの
存立について疑っており
アートマンは存在する　しない
を
客体としてつかもうとするのです

中村元さんは本で、
人々が
対象として把握しようと
するいかなる形而上学的なものも、
アートマンではないとかかれています
（いわんや形而下のものはいうまでもないことなのです　無常であるもの苦でありアートマンではない）

中村元さんは、ブッダの教えは形而上学的なものも含め、具体的に把握されうるすべてのものに対する、人々の執着を取り除くためのものであると説明されています

中村元さんの本の説明によれば
原始仏教は
こういった非我についての教えについてです

ただし

原始仏教の末期に
無我論（アートマンが存在しない）
が
あらわれだしたと説明されています

これはパーリ経典のなかにはみられず、

サンスクリット経典にあらわれだして
無我論が発生したと説明しています


（付記）
教えや癒しがおこることについて


教えみたいなのは
実在からの恩寵です　　
その教えを聞く機会があれば

実在（ただ在る）ことがおこる
（比喩で、ほんとうは　おこるようにみえることから影響をうけなくなる）
ことによる平安がもたらされる
のだとおもいます

それ、つまりは、実在による平安というのは
二元的経験ではないため（自我目的達成ではないので、そのような活動的経験の記憶がおきてくるのではなく、つまり蓄積するのではなく
たんに一元（ただ在る）によるいやしがなされてくる

という感じだどおもいます

たとえば仏陀の教えの場合
縁起は世俗諦の教えで
無明の状態における縁起の説明がされていますが
それらは空（実在）しない
といわれています

勝義諦は
ニルヴァーナだけが実在する
という教えです

仏陀は法をも捨てよ、いわんや非法はいうまでもない

て説かれています

非法とは無知であり

法とは
世俗諦（縁起）
と
勝義諦（月をさす指、つまりこれも概念）

です

つまり、無知による経験
に執着しないというだけでなく

経験の説明（世俗諦　縁起）
や
実在についての概念（ニルヴァーナとか神とか）というものにも執着はしないように

ということなのだとおもいます
^_^


#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ
#スピリチュアル
#仏教
#12因縁


---
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   <link>https://stand.fm/episodes/67c53293c051ddb222519248</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Mon, 03 Mar 2025 04:40:03 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>素人による仮説なので、あしからずです^_^
ちなみに
わたくしの　新説12因縁では

かんたんに対応させるために

無明を二つの意味でとらえています

ひとつは
空想された状態を無明

もうひとつは
空想された状態に催眠をかける作用

のことです
後者により
主体という信念（強想念）がおきるので

後者の無明（催眠）作用のことを
つまり強想念についてですが、それがあるのでもないのでもない段階である非想非非想処
のことだとしています

そして
無明作用（非想非非想処）
のあと
行（無所有処）
識（識無辺処）
名色（魂とアカシックレコードの場としての空無辺処）
となります


「ブッダの非我説の真実について」

中村元さんの、
ブッダの伝記についての本には
アートマン（不滅の根本存在）は否定されていないというふうに説明されています

中村元さんによれば

ブッダはアートマンは存在しないとはいっていない

これやあれはアートマンではない
と
述べているだけである

とかいておられます

つまりそれは煩悩によっつて見失っていただけで常に存在するということなのでしょう

客体的実体としてのアートマンを認めるのではなく
アートマンは存在しないというのでもなく
アートマンについては「沈黙」していた

ということです

なぜなら

アートマンは主体（マインド）の対象にはならないからです

これは
マインド（自我）がつかむ有無論の罠におちいらないためでもあります

無明からの自我（煩悩）は自らの
存立について疑っており
アートマンは存在する　しない
を
客体としてつかもうとするのです

中村元さんは本で、
人々が
対象として把握しようと
するいかなる形而上学的なものも、
アートマンではないとかかれています
（いわんや形而下のものはいうまでもないことなのです　無常であるもの苦でありアートマンではない）

中村元さんは、ブッダの教えは形而上学的なものも含め、具体的に把握されうるすべてのものに対する、人々の執着を取り除くためのものであると説明されています

中村元さんの本の説明によれば
原始仏教は
こういった非我についての教えについてです

ただし

原始仏教の末期に
無我論（アートマンが存在しない）
が
あらわれだしたと説明されています

これはパーリ経典のなかにはみられず、

サンスクリット経典にあらわれだして
無我論が発生したと説明しています


（付記）
教えや癒しがおこることについて


教えみたいなのは
実在からの恩寵です　　
その教えを聞く機会があれば

実在（ただ在る）ことがおこる
（比喩で、ほんとうは　おこるようにみえることから影響をうけなくなる）
ことによる平安がもたらされる
のだとおもいます

それ、つまりは、実在による平安というのは
二元的経験ではないため（自我目的達成ではないので、そのような活動的経験の記憶がおきてくるのではなく、つまり蓄積するのではなく
たんに一元（ただ在る）によるいやしがなされてくる

という感じだどおもいます

たとえば仏陀の教えの場合
縁起は世俗諦の教えで
無明の状態における縁起の説明がされていますが
それらは空（実在）しない
といわれています

勝義諦は
ニルヴァーナだけが実在する
という教えです

仏陀は法をも捨てよ、いわんや非法はいうまでもない

て説かれています

非法とは無知であり

法とは
世俗諦（縁起）
と
勝義諦（月をさす指、つまりこれも概念）

です

つまり、無知による経験
に執着しないというだけでなく

経験の説明（世俗諦　縁起）
や
実在についての概念（ニルヴァーナとか神とか）というものにも執着はしないように

ということなのだとおもいます
^_^


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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[インド思想を語る]]></title>
   <description><![CDATA[２回目のライブ配信のアーカイブです。^_^
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ
#スピリチュアル
#インド
#ラマナマハルシ

---
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   <link>https://stand.fm/episodes/67c4fdb2c051ddb222518e79</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Mon, 03 Mar 2025 00:54:45 GMT</pubDate>
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[ちょこっと素人と語れるノンデュアリティ（非二元スピリチュアル）]]></title>
   <description><![CDATA[かんたんノンデュアリティ（非二元）

（説明）

いつもある精神統一

おきてることしかない


（説明）
　自然精神統一のなかのオートマチックの終焉


自然精神統一とは

石や植物は動物は
じぶんで崇高な概念をつかめません

しかし人間は
真の自己、神とか
普遍的な概念を信仰することにより
五感への執着を
南無阿弥陀とかの信仰に
変えることことができます

そして
その普遍的概念を信仰する力にもどると

たとえば不動尊信仰における
不動
とは
じつは
外的なものではなく
つまり
みずからの精神統一のことだと気づきます

そして
自然精神統一はじつは

いつもあるのです

坊さんが座ってるときだけでなく

瞑想が終わったあとも

瞑想の前にも

いつも自然な精神統一があることに気づきます

だれでも今そうです

自然に精神統一してますね

何かに熱中や
瞑想に執着しているときに忘れてるでしょうが

じつはいつも自然に精神統一してますね

それが

汝すでにそれなり

です

それをいつもある自然精神統一といい（沈黙の愛というのかもしれません）


#ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #スピリチュアル
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   <link>https://stand.fm/episodes/67c0264dcbfe0b9a18ca45f3</link>
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 27 Feb 2025 08:46:42 GMT</pubDate>
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（説明）

いつもある精神統一

おきてることしかない


（説明）
　自然精神統一のなかのオートマチックの終焉


自然精神統一とは

石や植物は動物は
じぶんで崇高な概念をつかめません

しかし人間は
真の自己、神とか
普遍的な概念を信仰することにより
五感への執着を
南無阿弥陀とかの信仰に
変えることことができます

そして
その普遍的概念を信仰する力にもどると

たとえば不動尊信仰における
不動
とは
じつは
外的なものではなく
つまり
みずからの精神統一のことだと気づきます

そして
自然精神統一はじつは

いつもあるのです

坊さんが座ってるときだけでなく

瞑想が終わったあとも

瞑想の前にも

いつも自然な精神統一があることに気づきます

だれでも今そうです

自然に精神統一してますね

何かに熱中や
瞑想に執着しているときに忘れてるでしょうが

じつはいつも自然に精神統一してますね

それが

汝すでにそれなり

です

それをいつもある自然精神統一といい（沈黙の愛というのかもしれません）


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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[あるがままでいる（小悟と大悟の自然さのちがいについて）]]></title>
   <description><![CDATA[ #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #スピリチュアル
---
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 27 Feb 2025 06:37:34 GMT</pubDate>
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  </item>
  <item>
   <title><![CDATA[朝と夜]]></title>
   <description><![CDATA[ #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ #ピュアノンデュアリティ #スピリチュアル
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   <dc:creator><![CDATA[N A C]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 27 Feb 2025 06:19:24 GMT</pubDate>
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