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  <title><![CDATA[楽しい文化史（くげ日本史ポッドキャスト）]]></title>
  <description><![CDATA[暗記の多い日本史の中で特に暗記要素の多い文化史ですが、繋がりやエピソードを知ることで、私の大好きな文化史を楽しく学べるようなお話をしていきます。大人から子どもまで、もちろん受験生も、気軽に聴いてもらいたいです]]></description>
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  <item>
   <title><![CDATA[08-弘仁貞観文化②嵯峨とか室生寺とか]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史第８回、弘仁貞観文化その②です

前回、三筆の話でも出てきた嵯峨天皇ですが、
彼の唐風趣味が平安初期文化の特徴です
（次が国風文化ですから余計に）
文章経国思想が押し出され、勅撰漢詩集が作られる、
宮門の名前が、たとえば大伴門→応天門になるわけです
ついでに言うと、これは伝説（今昔）ですが、「弘法も筆の誤り」のエピソードが、
空海が応天門の「応」の字を書いた時という設定なのも、合致して面白いです
まあ、応天門の変で焼けてしまいましたが。

仏像ですが、木像が主流になります
榧（カヤ）の木の一木造です
仏像はインドでは白檀で作るものとされていたようです
香木で非常に貴重で、かつ日本では入手できない
代替するもとして、カヤが使われました。
日本でも入手できる香木で、見た目も似ているらしいです
こういったことを、鑑真が伝えたと言われています
貴重な木ですが、漆や銅よりは仏像が作りやすくなった
あと、表面の衣紋を深くリズミカルに彫り込む、
翻波式というものが流行しました
１本の木から仏像が現れるって、神秘的で密教に合ってる気もします
平安初期の仏像はいろいろなお寺に残されていますが、
集中しているのは室生寺です

この時代の建築はあまり現存していないんです
室生寺の金堂や五重塔が知られています
五重塔は法隆寺の次に古い現存五重塔です
１９９８年の台風で被害を受けましたが修復されました
高さ１６ｍしかない、美しくも可愛い塔です
ちなみに東寺５６ｍ，法隆寺３２ｍです

#日本史
#弘仁・貞観文化
#室生寺
]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69db8e52d846d58d2b0f17de</link>
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   <pubDate>Sun, 12 Apr 2026 15:00:20 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>楽しい文化史第８回、弘仁貞観文化その②です

前回、三筆の話でも出てきた嵯峨天皇ですが、
彼の唐風趣味が平安初期文化の特徴です
（次が国風文化ですから余計に）
文章経国思想が押し出され、勅撰漢詩集が作られる、
宮門の名前が、たとえば大伴門→応天門になるわけです
ついでに言うと、これは伝説（今昔）ですが、「弘法も筆の誤り」のエピソードが、
空海が応天門の「応」の字を書いた時という設定なのも、合致して面白いです
まあ、応天門の変で焼けてしまいましたが。

仏像ですが、木像が主流になります
榧（カヤ）の木の一木造です
仏像はインドでは白檀で作るものとされていたようです
香木で非常に貴重で、かつ日本では入手できない
代替するもとして、カヤが使われました。
日本でも入手できる香木で、見た目も似ているらしいです
こういったことを、鑑真が伝えたと言われています
貴重な木ですが、漆や銅よりは仏像が作りやすくなった
あと、表面の衣紋を深くリズミカルに彫り込む、
翻波式というものが流行しました
１本の木から仏像が現れるって、神秘的で密教に合ってる気もします
平安初期の仏像はいろいろなお寺に残されていますが、
集中しているのは室生寺です

この時代の建築はあまり現存していないんです
室生寺の金堂や五重塔が知られています
五重塔は法隆寺の次に古い現存五重塔です
１９９８年の台風で被害を受けましたが修復されました
高さ１６ｍしかない、美しくも可愛い塔です
ちなみに東寺５６ｍ，法隆寺３２ｍです

#日本史
#弘仁・貞観文化
#室生寺
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  <item>
   <title><![CDATA[207-弘仁貞観文化①最澄空海と円仁円珍]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史第７回、弘仁貞観文化その①です

＊＊　この配信は毎週月・金に決めようと思います　＊＊

さて、平安初期文化と言えば、最澄と空海
この二人は同じ遣唐使船で渡航しましたが、色々と違います
まず年齢が７歳も違います。最澄のほうが７つ年上です。
最澄は近江の出身で、正式に僧となった後に比叡山で修行します
これが後に延暦寺になります
その活躍を知った桓武天皇が、新しい仏教をもたらすことに期待して、
唐に派遣されました。当時３７歳。
翌年には帰国し、天台宗をもたらします。つまり渡唐前から桓武の期待と保護があった。

対して空海は讃岐の出身。渡航時には最澄ほど期待されていたわけではなく、
唐で２年間学んで真言宗を持ち帰ります。すでに桓武は亡くなっており、
空海を保護したのは嵯峨天皇です
空海は嵯峨天皇から東寺を与えられます。
東寺の正式名は「教王護国寺」ですから「護国」です
延暦寺も、その位置は京都の西北、鬼門なので、それを封じる役割も期待されました

空海と嵯峨天皇は、字が上手であるとして「三筆」に数えられますが、
もう一人が橘逸勢ですね

さて密教と言えば加持祈祷です。
ある種の呪術で、国家にも個人にも効果があるようで、
貴族個人の病気平癒などなどに使われるようになる
密教の秘密っぽさと貴族つまり世俗との結びつきは、
矛盾するような気もします

最初から密教色が強かった真言宗はともかく、
天台宗はこれが分裂を起こします

円仁派の山門派と円珍派の寺門派というけど、円仁と円珍が直接に対立したわけではなく
そもそも円仁は最澄の弟子、円珍は最澄の弟子の義真の弟子で、世代が違う
天台宗の密教色が強まる中で、貴族のニーズに応じるべきか否かの対立が大きくなり、
後に円仁が前者、円珍が後者の祖とされた
両者の対立が延暦寺内で暴力的になり、円珍派が延暦寺を追われたのは１０世紀の終わり
近江の園城寺は円珍が復興して、天台宗第二の寺院になっていた

寺院や仏像については、次回に
#日本史
#弘仁・貞観文化
]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69d6654c969b21b60c6660c8</link>
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   <dc:creator><![CDATA[くげてつや]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 09 Apr 2026 15:00:02 GMT</pubDate>
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＊＊　この配信は毎週月・金に決めようと思います　＊＊

さて、平安初期文化と言えば、最澄と空海
この二人は同じ遣唐使船で渡航しましたが、色々と違います
まず年齢が７歳も違います。最澄のほうが７つ年上です。
最澄は近江の出身で、正式に僧となった後に比叡山で修行します
これが後に延暦寺になります
その活躍を知った桓武天皇が、新しい仏教をもたらすことに期待して、
唐に派遣されました。当時３７歳。
翌年には帰国し、天台宗をもたらします。つまり渡唐前から桓武の期待と保護があった。

対して空海は讃岐の出身。渡航時には最澄ほど期待されていたわけではなく、
唐で２年間学んで真言宗を持ち帰ります。すでに桓武は亡くなっており、
空海を保護したのは嵯峨天皇です
空海は嵯峨天皇から東寺を与えられます。
東寺の正式名は「教王護国寺」ですから「護国」です
延暦寺も、その位置は京都の西北、鬼門なので、それを封じる役割も期待されました

空海と嵯峨天皇は、字が上手であるとして「三筆」に数えられますが、
もう一人が橘逸勢ですね

さて密教と言えば加持祈祷です。
ある種の呪術で、国家にも個人にも効果があるようで、
貴族個人の病気平癒などなどに使われるようになる
密教の秘密っぽさと貴族つまり世俗との結びつきは、
矛盾するような気もします

最初から密教色が強かった真言宗はともかく、
天台宗はこれが分裂を起こします

円仁派の山門派と円珍派の寺門派というけど、円仁と円珍が直接に対立したわけではなく
そもそも円仁は最澄の弟子、円珍は最澄の弟子の義真の弟子で、世代が違う
天台宗の密教色が強まる中で、貴族のニーズに応じるべきか否かの対立が大きくなり、
後に円仁が前者、円珍が後者の祖とされた
両者の対立が延暦寺内で暴力的になり、円珍派が延暦寺を追われたのは１０世紀の終わり
近江の園城寺は円珍が復興して、天台宗第二の寺院になっていた

寺院や仏像については、次回に
#日本史
#弘仁・貞観文化
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  <item>
   <title><![CDATA[06-天平文化②乾漆像と正倉院宝物]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史第６回、天平文化②です

仏像の素材について、飛鳥・白鳳とは傾向が異なります。
金銅像は東大寺大仏以外は非常に少ない、木像も少ない。
著名なものは、乾漆像か塑像です。
乾漆像は漆を接着剤的に使って布を重ねていく技法で、有名なものは興福寺の阿修羅像、東大寺法華堂の不空羂索観音像、唐招提寺の鑑真像など。塑像は土を塗り固めていく技法で、有名なのは、さっきの不空羂索観音像の脇侍の日光月光菩薩です

乾漆像は、高価な漆を大量に使うので、かなり費用がかかります。不空羂索観音像は３.６ｍもあるので、豪華すぎます。さすが律令国家という感じです。
金銅像がなぜ使われなくなったのか。巨大な東大寺大仏に大量の銅が使われたので銅が足りなかったという考え方もありますが、
不空羂索観音像も阿修羅も大仏造立より前に作られていてます。
まあ和同開珎など銅銭の鋳造もあり、銅は不足傾向だったとは思いますが、
それよりも、型に銅を流し込む金銅像や、木を削って作る木像よりも、土や漆を塗り重ねていく塑像や乾漆像のほうが、微調整がしやすく、より豊かな表現が可能ということが主なのでしょう。
写実的な表現が唐文化の特徴と言われていますし、乾漆像も塑像も唐から伝わった技法です

豪華と言えば正倉院宝物です
毎年、秋に行われている正倉院展にはぜひ行ってください。
宝物の主なものは聖武や皇后の日常品というのがすごい。
例えば遊具。双六盤には紫檀という香木が使われ、細かい細かい装飾がされていて、サイコロは象牙、サイコロを振る筒は紫檀、コマは水晶や琥珀です。囲碁セットもあって、碁盤は紫檀に線は象牙、碁石は象牙で赤・青に着色して、一つ一つ鳥の文様が描かれています。
そして、これらには使用した形跡があります！
聖武は文武の皇子で天武の直系、生まれた時から天皇となるべく育てられてきているので、こんな豪華な遊び道具を普通に使っている。庶民のように驚かない。買うわけじゃないから値段とか気にもしない。「本物の王者」の姿や感覚を、こういうところから想像するのが正倉院展の一つの楽しみ方です

律令国家は国際的危機感を背景に成立しました。実際には対外戦争はなく、予算は「鎮護国家」に投入されたというのが、天平文化の豪華さです。そんな仏教も、平安時代には傾向が変わっていきます

次回は平安初期文化、弘仁貞観文化です。
 #日本史
 #天平文化]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69d126b9ed7b6331253207f1</link>
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   <pubDate>Sun, 05 Apr 2026 15:00:06 GMT</pubDate>
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仏像の素材について、飛鳥・白鳳とは傾向が異なります。
金銅像は東大寺大仏以外は非常に少ない、木像も少ない。
著名なものは、乾漆像か塑像です。
乾漆像は漆を接着剤的に使って布を重ねていく技法で、有名なものは興福寺の阿修羅像、東大寺法華堂の不空羂索観音像、唐招提寺の鑑真像など。塑像は土を塗り固めていく技法で、有名なのは、さっきの不空羂索観音像の脇侍の日光月光菩薩です

乾漆像は、高価な漆を大量に使うので、かなり費用がかかります。不空羂索観音像は３.６ｍもあるので、豪華すぎます。さすが律令国家という感じです。
金銅像がなぜ使われなくなったのか。巨大な東大寺大仏に大量の銅が使われたので銅が足りなかったという考え方もありますが、
不空羂索観音像も阿修羅も大仏造立より前に作られていてます。
まあ和同開珎など銅銭の鋳造もあり、銅は不足傾向だったとは思いますが、
それよりも、型に銅を流し込む金銅像や、木を削って作る木像よりも、土や漆を塗り重ねていく塑像や乾漆像のほうが、微調整がしやすく、より豊かな表現が可能ということが主なのでしょう。
写実的な表現が唐文化の特徴と言われていますし、乾漆像も塑像も唐から伝わった技法です

豪華と言えば正倉院宝物です
毎年、秋に行われている正倉院展にはぜひ行ってください。
宝物の主なものは聖武や皇后の日常品というのがすごい。
例えば遊具。双六盤には紫檀という香木が使われ、細かい細かい装飾がされていて、サイコロは象牙、サイコロを振る筒は紫檀、コマは水晶や琥珀です。囲碁セットもあって、碁盤は紫檀に線は象牙、碁石は象牙で赤・青に着色して、一つ一つ鳥の文様が描かれています。
そして、これらには使用した形跡があります！
聖武は文武の皇子で天武の直系、生まれた時から天皇となるべく育てられてきているので、こんな豪華な遊び道具を普通に使っている。庶民のように驚かない。買うわけじゃないから値段とか気にもしない。「本物の王者」の姿や感覚を、こういうところから想像するのが正倉院展の一つの楽しみ方です

律令国家は国際的危機感を背景に成立しました。実際には対外戦争はなく、予算は「鎮護国家」に投入されたというのが、天平文化の豪華さです。そんな仏教も、平安時代には傾向が変わっていきます

次回は平安初期文化、弘仁貞観文化です。
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  <item>
   <title><![CDATA[05-天平文化①建築いろいろ]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史第５回、天平文化①です

天平文化といえば東大寺、と言いたいところですが、二度の戦災で多くの建物が焼失してしまいました。
修復は受けつつも、奈良時代から現存しているのは、法華堂と正倉院と転害門です
いずれも東大寺の中央から大きく離れたところにあります
現在の法華堂は向かって左、北側が奈良時代、右側は鎌倉時代に増築された建物です
現地に行けばよく分かりますが、写真で見ても、屋根瓦の色や床下の部分が、左右で違うのが分かりますよ
実はこれを私のnoteのプロフィール写真に使っています。色の違いを確認してみてください
正倉院宝庫は、大きいです。床下２.４ｍあります。外観だけ拝観できます。無料ですが平日のみなのが難点です。
有名な宝物はこの中に１０００年以上も保管されてきたのですが、さすがに現在は空調管理の新宝庫に移されていて、中は空です。
一度だけ内部の見学に参加する幸運に恵まれました。

伽藍配置というものがあり、塔・金堂などの配置に何通りかのパターンがあります
時代による変化で割と分かりやすのが、「塔が中央線から外れていく」話です
そもそも最初は塔は寺の中心で、当然一つでした。ところが薬師寺あたりから左右２つの塔に分かれ、
伽藍の中心、中門の内側から外側へと外側へと、場所が移っていきます
東大寺にも東西の塔がありました。いまは大きな土壇が残るだけです。礎石も残っていません。
ただ、その土壇の大きさから推定して、８０ｍとか１００ｍとかの巨大な塔だったと推定されます
現存する最大の塔は京都東寺のもので、約５５ｍです
東大寺は全国総国分寺です。国分寺には七重塔がなければならないからです
実は１９７０年の大阪万博の時、古河グループ、足尾銅山で有名なあの古河です、
その古河パビリオンが、この七重塔を復元したものでした。
残念ながら現存しませんが、てっぺんにあった相輪だけが、東大寺大仏殿のすぐ東隣に置かれています
ぜひ行ってみてください。大きさに圧倒されますよ。

唐招提寺や法隆寺などにも天平建築は現存します
ユニークなのは唐招提寺の講堂です。この建物は「再利用」で、平城宮の改修にともない、使わなくなった朝集殿を転用しています。
いまは立派な伽藍のならぶ唐招提寺ですが、当初は、鑑真の功績の割には、厳しい状況だったようです
ただ、おかげで現存する唯一の宮殿建築遺構となっています
橘諸兄や大伴家持、藤原仲麻呂たちが、若い頃にはここの柱に触ったかもしれません

次回は天平文化②です。仏像を見てみましょう
 #日本史
 #天平文化]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69cf0384d4f9a72a2d3b548b</link>
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   <dc:creator><![CDATA[くげてつや]]></dc:creator>
   <pubDate>Fri, 03 Apr 2026 00:08:32 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>楽しい文化史第５回、天平文化①です

天平文化といえば東大寺、と言いたいところですが、二度の戦災で多くの建物が焼失してしまいました。
修復は受けつつも、奈良時代から現存しているのは、法華堂と正倉院と転害門です
いずれも東大寺の中央から大きく離れたところにあります
現在の法華堂は向かって左、北側が奈良時代、右側は鎌倉時代に増築された建物です
現地に行けばよく分かりますが、写真で見ても、屋根瓦の色や床下の部分が、左右で違うのが分かりますよ
実はこれを私のnoteのプロフィール写真に使っています。色の違いを確認してみてください
正倉院宝庫は、大きいです。床下２.４ｍあります。外観だけ拝観できます。無料ですが平日のみなのが難点です。
有名な宝物はこの中に１０００年以上も保管されてきたのですが、さすがに現在は空調管理の新宝庫に移されていて、中は空です。
一度だけ内部の見学に参加する幸運に恵まれました。

伽藍配置というものがあり、塔・金堂などの配置に何通りかのパターンがあります
時代による変化で割と分かりやすのが、「塔が中央線から外れていく」話です
そもそも最初は塔は寺の中心で、当然一つでした。ところが薬師寺あたりから左右２つの塔に分かれ、
伽藍の中心、中門の内側から外側へと外側へと、場所が移っていきます
東大寺にも東西の塔がありました。いまは大きな土壇が残るだけです。礎石も残っていません。
ただ、その土壇の大きさから推定して、８０ｍとか１００ｍとかの巨大な塔だったと推定されます
現存する最大の塔は京都東寺のもので、約５５ｍです
東大寺は全国総国分寺です。国分寺には七重塔がなければならないからです
実は１９７０年の大阪万博の時、古河グループ、足尾銅山で有名なあの古河です、
その古河パビリオンが、この七重塔を復元したものでした。
残念ながら現存しませんが、てっぺんにあった相輪だけが、東大寺大仏殿のすぐ東隣に置かれています
ぜひ行ってみてください。大きさに圧倒されますよ。

唐招提寺や法隆寺などにも天平建築は現存します
ユニークなのは唐招提寺の講堂です。この建物は「再利用」で、平城宮の改修にともない、使わなくなった朝集殿を転用しています。
いまは立派な伽藍のならぶ唐招提寺ですが、当初は、鑑真の功績の割には、厳しい状況だったようです
ただ、おかげで現存する唯一の宮殿建築遺構となっています
橘諸兄や大伴家持、藤原仲麻呂たちが、若い頃にはここの柱に触ったかもしれません

次回は天平文化②です。仏像を見てみましょう
 #日本史
 #天平文化</itunes:summary>
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  <item>
   <title><![CDATA[04-白鳳文化②インドブームと薬師寺]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史第４回、白鳳文化②です

飛鳥も白鳳も天平も、というか古代の文化の特徴は、文化の輸入が基本ということ
だから、仏教中心文化だし、国際性に富んでいると言われます
ペガサスとかライオンとかエンタシスとか

飛鳥と白鳳以降との違いは遣唐使による直輸入が始まったこと

白鳳の仏像にはインド文化の影響が強いとされます
前回お話した法隆寺金堂壁画も、インドの石窟寺院の壁画と似ていました

飛鳥仏は全体に華奢です。手足細い、細身で高身長、ファッションモデル体型
肉が少なく直線的でした
対して白鳳仏は、肉厚で、腰がくびれたたりしてます
モデルというよりグラビア系です。女性じゃないけど
あと、身につけてる衣装や装身具が違う、というか増えてます。
飛鳥仏と比べてみてください

実は当時の唐がインドブームでした
三蔵法師こと玄奘が、インドへ行って帰ってきたからです
孫悟空たちを連れて行ったというのが「西遊記」で、もちろん後世の創作ですけど
遣唐使が、その流行を早速持って帰ってきたようです
道照という僧侶は唐に渡って帰国するのですが、
唐にいた時に、この玄奘に学んでいます
この道照の弟子が、奈良時代に活躍する行基です

最後に薬師寺のお話を

薬師寺、薬師如来は名前の通り病気平癒を願って建立したのですが、
これは天武天皇が皇后の、のちの持統女帝の病気が治すことを願って建立を命じました
このことは、薬師寺東塔の屋上にある相輪に銘文として刻まれれいます
でも、凝りすぎたのか、完成前に皇后は回復してしまいます
建設は続けたのですが、今度は天武が病気になり、完成前に亡くなってしまいます
本尊の薬師如来が完成するのはそれより１０年も後のことです
寺が完成したのは次の文武朝です

この「天皇や皇后の回復を願う」ということが、個人的な願いにとどまらず、
国家的なプロジェクトになる。これが律令国家、鎮護国家なんですね。

次回からは天平文化です #日本史  #白鳳文化]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69cb22c9751a6a45d72bc63b</link>
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   <dc:creator><![CDATA[くげてつや]]></dc:creator>
   <pubDate>Tue, 31 Mar 2026 04:01:53 GMT</pubDate>
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   <itunes:summary>楽しい文化史第４回、白鳳文化②です

飛鳥も白鳳も天平も、というか古代の文化の特徴は、文化の輸入が基本ということ
だから、仏教中心文化だし、国際性に富んでいると言われます
ペガサスとかライオンとかエンタシスとか

飛鳥と白鳳以降との違いは遣唐使による直輸入が始まったこと

白鳳の仏像にはインド文化の影響が強いとされます
前回お話した法隆寺金堂壁画も、インドの石窟寺院の壁画と似ていました

飛鳥仏は全体に華奢です。手足細い、細身で高身長、ファッションモデル体型
肉が少なく直線的でした
対して白鳳仏は、肉厚で、腰がくびれたたりしてます
モデルというよりグラビア系です。女性じゃないけど
あと、身につけてる衣装や装身具が違う、というか増えてます。
飛鳥仏と比べてみてください

実は当時の唐がインドブームでした
三蔵法師こと玄奘が、インドへ行って帰ってきたからです
孫悟空たちを連れて行ったというのが「西遊記」で、もちろん後世の創作ですけど
遣唐使が、その流行を早速持って帰ってきたようです
道照という僧侶は唐に渡って帰国するのですが、
唐にいた時に、この玄奘に学んでいます
この道照の弟子が、奈良時代に活躍する行基です

最後に薬師寺のお話を

薬師寺、薬師如来は名前の通り病気平癒を願って建立したのですが、
これは天武天皇が皇后の、のちの持統女帝の病気が治すことを願って建立を命じました
このことは、薬師寺東塔の屋上にある相輪に銘文として刻まれれいます
でも、凝りすぎたのか、完成前に皇后は回復してしまいます
建設は続けたのですが、今度は天武が病気になり、完成前に亡くなってしまいます
本尊の薬師如来が完成するのはそれより１０年も後のことです
寺が完成したのは次の文武朝です

この「天皇や皇后の回復を願う」ということが、個人的な願いにとどまらず、
国家的なプロジェクトになる。これが律令国家、鎮護国家なんですね。

次回からは天平文化です #日本史  #白鳳文化</itunes:summary>
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   <itunes:title>04-白鳳文化②インドブームと薬師寺</itunes:title>
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   <title><![CDATA[03-白鳳文化①文化財保護のあれこれ]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史の第２回は、白鳳文化①です

が、その前に、飛鳥文化の広隆寺半跏思惟像でしておきたかったお話

最初の国宝として有名な仏像ですが、昭和３５年という古い話ですが、とある大学生がつい触って、あの指先が折れちゃったという嘘みたいな話があります

そういえば法隆寺に落書き（うっすら線刻）を見つけたことがありました。ダメですよ国宝に

さて白鳳文化には、こういう文化財の保護の大切さ」にまつわるお話が多いんです

高松塚古墳壁画は１９７０年代に発見されて国宝になりましたが、外気に触れることによる劣化が懸念され、それこそ秘仏中の秘仏みたいな扱いで厳重に管理されてきましたが、やっぱり劣化してしまい、修復しないといけなくなりました

法隆寺金堂壁画は、インドの石窟寺院の壁画と類似していると言われ、当時の貴重な絵画でした。
終戦後はやい時期に、金堂壁画を模写して残そうということになり、画家たちが頑張っていたのですが、その最中に火災で燃えてしまいました

この反省から作られたのが文化財保護法、重要文化財という制度です

そして、全く反対の話題ですが、興福寺仏頭について
これ、薬師如来の頭で、頭だけでほぼ１メートルあります。
室町時代の火災で頭だけ焼け残ったもので、それも昭和初期になって発見されたというから、見つけた人はどんだけびっくりしたやら。
もとはたぶん座像で、それでも高さ４メートルくらいになります。しかも金銅像！重い！

さらに凄いのは、これ、もともとは藤原京近くの山田寺、蘇我倉山田石川麻呂のために建てたお寺の薬師如来像でした

それがなぜ奈良の興福寺にあるかというと、興福寺の僧たちが略奪してきたから

１２世紀末に平家との戦で南都は焼かれてしまいました。その再興に良い仏様はないかなと、で、山田寺から奪ってきた。しかも、この時期に山田寺は焼亡してしまっていて、どうも滅ぼされちゃったみたいです

それにしても、何トンもしたであろう金銅像を、奈良盆地の南から北まで人間たちが運んで行った姿を考えると、笑って良いのか呆れて良いのか、って感じです

次回は白鳳文化②です #日本史  #白鳳文化]]></description>
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   <pubDate>Sun, 29 Mar 2026 06:37:56 GMT</pubDate>
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が、その前に、飛鳥文化の広隆寺半跏思惟像でしておきたかったお話

最初の国宝として有名な仏像ですが、昭和３５年という古い話ですが、とある大学生がつい触って、あの指先が折れちゃったという嘘みたいな話があります

そういえば法隆寺に落書き（うっすら線刻）を見つけたことがありました。ダメですよ国宝に

さて白鳳文化には、こういう文化財の保護の大切さ」にまつわるお話が多いんです

高松塚古墳壁画は１９７０年代に発見されて国宝になりましたが、外気に触れることによる劣化が懸念され、それこそ秘仏中の秘仏みたいな扱いで厳重に管理されてきましたが、やっぱり劣化してしまい、修復しないといけなくなりました

法隆寺金堂壁画は、インドの石窟寺院の壁画と類似していると言われ、当時の貴重な絵画でした。
終戦後はやい時期に、金堂壁画を模写して残そうということになり、画家たちが頑張っていたのですが、その最中に火災で燃えてしまいました

この反省から作られたのが文化財保護法、重要文化財という制度です

そして、全く反対の話題ですが、興福寺仏頭について
これ、薬師如来の頭で、頭だけでほぼ１メートルあります。
室町時代の火災で頭だけ焼け残ったもので、それも昭和初期になって発見されたというから、見つけた人はどんだけびっくりしたやら。
もとはたぶん座像で、それでも高さ４メートルくらいになります。しかも金銅像！重い！

さらに凄いのは、これ、もともとは藤原京近くの山田寺、蘇我倉山田石川麻呂のために建てたお寺の薬師如来像でした

それがなぜ奈良の興福寺にあるかというと、興福寺の僧たちが略奪してきたから

１２世紀末に平家との戦で南都は焼かれてしまいました。その再興に良い仏様はないかなと、で、山田寺から奪ってきた。しかも、この時期に山田寺は焼亡してしまっていて、どうも滅ぼされちゃったみたいです

それにしても、何トンもしたであろう金銅像を、奈良盆地の南から北まで人間たちが運んで行った姿を考えると、笑って良いのか呆れて良いのか、って感じです

次回は白鳳文化②です #日本史  #白鳳文化</itunes:summary>
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   <title><![CDATA[02-飛鳥文化②仏像のサイズと材質]]></title>
   <description><![CDATA[楽しい文化史の第２回は、前回に引き続き飛鳥文化です

今回は、仏像について、特に大きさと素材に注目します
（仏像に限らず大きさはイメージに直結します）

この時代（飛鳥・白鳳時代）の仏像には、金銅像と木像があります
有名な法隆寺金堂釈迦三尊像は金銅像です
中央の釈迦如来は坐像なので高さ８６センチですが、なんと１８５キロもあります

ちなみに８６センチは身長１６０センチの人の平均座高のようです
要するにほぼ等身大です
国宝第１号の広隆寺の半跏思惟像も、木像ですが高さ８４センチです

法隆寺夢殿救世観音像も木造ですが、こちらは立像で１８０センチ！
聖徳太子の等身大像と言われています

ところで如来像や菩薩像は金色にします
仏さまは金色に輝いていたとされているからです
金銅像なら金メッキ、木造なら金箔です
長い時代がへて、金がはがれてしまって、いまの渋い色になっています

フェノロサが明治中期に「発見」した法隆寺夢殿救世観音像は
保存状況が良いので金箔がかなり残っていて、かなり綺麗です
お雇い外国人は強い

もう一つ
広隆寺の半跏思惟像は木造ですが、
材質は日本では珍しいアカマツで、朝鮮半島の影響が指摘されています
次の白鳳文化になると、中国の影響が強くなります。そこは次回！]]></description>
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   <pubDate>Sat, 28 Mar 2026 07:02:52 GMT</pubDate>
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今回は、仏像について、特に大きさと素材に注目します
（仏像に限らず大きさはイメージに直結します）

この時代（飛鳥・白鳳時代）の仏像には、金銅像と木像があります
有名な法隆寺金堂釈迦三尊像は金銅像です
中央の釈迦如来は坐像なので高さ８６センチですが、なんと１８５キロもあります

ちなみに８６センチは身長１６０センチの人の平均座高のようです
要するにほぼ等身大です
国宝第１号の広隆寺の半跏思惟像も、木像ですが高さ８４センチです

法隆寺夢殿救世観音像も木造ですが、こちらは立像で１８０センチ！
聖徳太子の等身大像と言われています

ところで如来像や菩薩像は金色にします
仏さまは金色に輝いていたとされているからです
金銅像なら金メッキ、木造なら金箔です
長い時代がへて、金がはがれてしまって、いまの渋い色になっています

フェノロサが明治中期に「発見」した法隆寺夢殿救世観音像は
保存状況が良いので金箔がかなり残っていて、かなり綺麗です
お雇い外国人は強い

もう一つ
広隆寺の半跏思惟像は木造ですが、
材質は日本では珍しいアカマツで、朝鮮半島の影響が指摘されています
次の白鳳文化になると、中国の影響が強くなります。そこは次回！</itunes:summary>
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   <title><![CDATA[01-ご挨拶&飛鳥文化①]]></title>
   <description><![CDATA[はじめまして、くげ（久下）と申します
このポッドキャストについて説明します

歴史は暗記ばかり。特に文化史は覚えることが多いので敬遠されがちです
私は高校で日本史を主に授業していましたが、文化史も大好きです。
また、たまたま文化史の授業を担当することも多かったので、
いろいろなエピソードやつながり、流れや特徴などを集めていました。

「冷遇されがちな文化史」を、少しでも楽しく思ってもらえるように、
知識は学校の授業や課題にまかせて、
楽しんでもらえることをめざして、語っていこうと思います

また、テストや暗記から解放された大人の皆さんにとっては、
より気軽に聞いてもらえると思います

趣旨説明だけでピンと来ないとい思いますので、早速本編へ

最初の文化は「飛鳥文化」ですが、実は…
「飛鳥文化」は「飛鳥」にはほとんどないんです。
そんなところから、お話を始めましょう！

#日本史　#文化史　#飛鳥]]></description>
   <link>https://stand.fm/episodes/69c548dd757f27ae0f362828</link>
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   <dc:creator><![CDATA[くげてつや]]></dc:creator>
   <pubDate>Thu, 26 Mar 2026 14:55:44 GMT</pubDate>
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このポッドキャストについて説明します

歴史は暗記ばかり。特に文化史は覚えることが多いので敬遠されがちです
私は高校で日本史を主に授業していましたが、文化史も大好きです。
また、たまたま文化史の授業を担当することも多かったので、
いろいろなエピソードやつながり、流れや特徴などを集めていました。

「冷遇されがちな文化史」を、少しでも楽しく思ってもらえるように、
知識は学校の授業や課題にまかせて、
楽しんでもらえることをめざして、語っていこうと思います

また、テストや暗記から解放された大人の皆さんにとっては、
より気軽に聞いてもらえると思います

趣旨説明だけでピンと来ないとい思いますので、早速本編へ

最初の文化は「飛鳥文化」ですが、実は…
「飛鳥文化」は「飛鳥」にはほとんどないんです。
そんなところから、お話を始めましょう！

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