自分が過ちを犯したとき、自責の念にかられることはありますが、そもそも、過ちは自分が起こしたのでしょうか、あるいは、何かそうさせられたのかもしれません。意志の実在をどう捉えてみるとよいのでしょうか。
2つ目の話は、被爆樹木のお話から考える、祈りというものの定義について話しています。実は、ZACは、どう良く生きるか、これは倫理の根源的な問なのに、あの悲惨な出来事と向き合った時、この問自体、問うことができないんじゃないかと、悩んでいたのです。祈りは、この問いと、悲惨な出来事を調停するものではないか、と何となく思っている、というお話です。
2つの話が折混ざりながら、意志の有無、どちらが正義なのかといった、二項対立から離れることの大事さを取り上げつつ、でも、何らかの規範、共通価値を大切にせねばならぬという結論に至っております。
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