福岡の田舎から世界17カ国へ!
「自分の知らない世界を知ることが、人生を変える」
中学生でアメリカに飛び、19歳でカナダで挫折を味わい、そして今、「コーチングの民主化」に人生を賭けるITエンジニア・なるさんの壮絶な人生ストーリーが今、明かされる。
1.「OOをやりなさい」と言われた記憶がない少年時代
福岡の田舎で生まれ育った。男3人兄弟の末っ子として、自由奔放に過ごした少年時代だった。両親から「何をやりなさい」と言われた記憶がない。毎日のように外で遊んでは、町中のすべての生き物を見つけて家に持ち帰っていた。
2. 中学生でアメリカ単身ホームステイ
中学は、田舎にあるごく普通の中学校。いや、「普通」と言ってもヤンキーが多く、少し荒れた学校だった。
当時、僕の住んでいた田舎では、外国人を見ることすら珍しかった。だからこそ、実際にアメリカへ行き、ホームステイを経験したときは衝撃の連続だった。
見るものすべてが違う。車の走る方向も、トイレの使い方も、食べ物も、習慣も――「本当に、こんなにも違う世界があるんだ!」と感動した。
まるでドラえもんの秘密道具で、知らない世界に来たみたい。それまでの価値観がガラッと変わった瞬間だった。
3.まじめに勉強漬けの高校時代
進学した高校は、いわゆる進学校。周囲の多くの生徒が大学進学を目指し、当たり前のように勉強に取り組んでいる環境だった。
4. 大学4年間で17カ国制覇!究極の無計画バックパッカー術
高校時代の勉強漬けから一転、大学では花を咲かせます。海外に行きまくり、気づけば4年間で17カ国を旅するバックパッカーに。
カンボジア、パラグアイ、オランダ、アメリカなど。カナダではワーキングホリデーで10か月滞在。
現地のホステルに泊まり、毎日知らない人と話す。
「明日どこに行こうかな?」と予定も決めず、ホステルで出会った人と一緒に観光地を巡る旅。それが心地よくて、刺激的だった。
旅の中で出会った人たちとの会話は、毎回、自分の価値観を揺さぶってくれた。
たとえば、イスラエル人と出会い、彼とブラジルを一緒に旅した経験。彼には兵役の経験があり、日本では想像もつかないような話をたくさん聞いた。
同じ年齢でも、まったく違う世界観、生き方、考え方がある。
5. 就職活動、パナソニックのインターンで気づいた「大企業の罠」
「海外に行きたい!」という想いで、大手メーカーを希望。パナソニックのインターンに参加するが、このインターン経験が人生を変えることになります。
「大手企業では会社の中のネジの一つ。基盤は良いが、それも取るに足らない小さな部品になってしまう」
誰もが羨む大企業での貴重な経験が、逆に大手志望は止めるという人生の方向性を決定的に変えたのです。
そして、なぜ彼はITベンチャーの道を選んだのか?
6.19歳、カナダ10か月のワーホリで学んだ危機感
ITベンチャーへの道を選んだ理由は、19歳の時、カナダの10か月間のワーキングホリデーから学んだ危機感。たくさんの移民が暮らすこの国で、仕事を探す日々。
最初は勢いだけでなんとかなると思っていた。でも、すぐに現実にぶつかりました。
元気だけじゃ仕事はもらえない
自分には「専門性」がない。履歴書に書けるようなスキルもない。自信があったはずの英語も通じない。
気づけば、「自分って、何もできないんだな」と痛感していました。でもその感覚こそが、価値観を大きく変えるきっかけになったのです。
日本にいたときには味わったことのなかった「危機感」。環境が変わっただけで、こんなにも自分の力のなさを思い知らされるのかと愕然としました。
「このままじゃダメだ」そう強く思ったあの日から、自分を変えることに本気になりました。
7.カナダの現地企業でインターンシップに挑戦
「安易に日本食レストランで働くのはやめよう」と決め、現地企業でのインターンシップに挑戦。
わずか3週間という短期間だったが、学ぶことは多かった。たった3週間でも、学校で3か月学んだ時よりも英語が一気に伸びた。やはり実践に勝る学びはない。
8.失敗を避けるのではなく、失敗から学ぶ。
実は「失敗が嫌い」なタイプ。でもだからこそ、「失敗しないために、先輩や周りの人の失敗から学ぶ」というスタンスを持ち、どんどん準備し、自分を追い込んでいった。
あえて厳しい環境に身を置く。そのほうが、自分の力になると信じていた。
9.日本語を話さないと決めた理由
カナダにいる日本人の中には、ずっと日本人同士で行動している人たちもいた。そういう人たちは関西弁がうまくなっていたりして、そうはなりたくなかった。
「英語を伸ばしたい」という強い気持ちがあったので、あえて日本語を一切話さないと決めた。現地で日本人と話すときも、英語で通した。
少しストイックかもしれないが、「自分の能力をつけること」にとことんフォーカスしていた。
「この先、自分には何が残るんだろう?」そう問い続けた10か月。
スキルも、経験も、人との出会いも、自分の中にしっかり刻まれていった。あのカナダでの時間が、今の自分の軸をつくってくれたと思っている。