前も同じようなこと言ってましたよね。
教えを広めるなんてのは端から傲慢なんですよ。先生とか僧侶なんてものは存在自体が傲慢です。ということは当たり前の事だし、それは受容しないと仕方ない。どうやったって人であるからには愚かですから。
愚禿親鸞なんて名乗る事自体が親鸞の弱さに感じます。
そのジレンマでブッダは無口になっていったように思うんです。もちろん悟りに近づいたことで言葉が少なくなったとかはあるんでしょうけど。
ブッダの教えはブッダではなくブッダの子分たちが広めたんじゃないかと思います。
言葉ではなく、その存在から感じさせる。
ブッダ的なそんなのが一番良いとは思うけど、そんなのは高度過ぎて愚禿な僕らにはできないから、僕ら愚な僧侶や先生はジレンマを抱えながら「愚禿親鸞でおま」と言い訳しながら、みっともない姿を晒しながら布教するのがあるべき有り様かなと思います。
マジレス👍✨