美味しい、という感覚の多くは味だけではない細かい感覚の部分であり、それはある種の共同幻想のようなものだと。それを理解するには概念の共有が必要だし、それには経験の共有(疑似共有含む)みたいなものが必要だと。だから日本人の三國さんには本当のところでフランス人のフランス料理は出来ないんだと。そこに気付いて三國さんは帰国したんだと思うんです。日本で三國オリジナルのフレンチを作ったときに初めて師匠たちのレベルに到達したと。しかしその到達点は師匠たちの居る頂きではないのだと。彼らはフランス人であり、三國は日本であり、その出自や経験や価値観がどうしても違うのだから、共同幻想は少し異なって然るべきだから。それはどっちが上とか下とかではなくて違いだと。三國は最高の三國にしかなれないし、逆に三國以外の人は最高の三國には絶対なれないってことだなと。
まあ大体そんなことです。