🦥の持論に
「数字やデータは何一つ客観を担保しない。ある程度の事象を共有する単位や指標にはなるが客観と呼べるものでは無い」があるが、前半分は数字やデータは恣意によって捏造改竄されるケースが否定出来無い、完全に対等公正な条件で導き出された事を誰も証明出来無いからだ。だが、妥当な範囲内においての共有ツールにはなり得る。と言う事だ。(^O^;)
※もう1つ人間が表に出すものは全て主観に基づいて居るからだ。例えば小生が客観視をして意見を述べたとする。それは客観そのものと言えるだろうか?言えないのだ。それはあくまでも🦥の意見と言う「主観」になってしまうからだ。
「客観そのもの」は表に出せない。内面にしか存在し得ないのだ。(^O^;)ジツハ
#gonzaの秒配信
#それは外に有るんじゃねぇ中に有るんだよ
#数字やデータは何一つ客観を担保しない
#だが数字やデータは妥当な範囲内での共有ツールにはなり得る
#人間が表に出すものは全て主観に基づいて居る
#客観そのものは表に出せない