その方が面白いよ。視点が変わったり、判断の物差しは人それぞれ、仮説と証拠の組み合わせに「構造的瑕疵」が無ければ、「別のご意見」として受け入れるのもアリじゃ無いかな?西洋的な権威主義は「論争」を仕掛けて正しさを主張する。だけどその時代のリアルに「嘘」と言う視点で仮説と証拠を組んだら、全く別物の知見になる。それが楽しい。って思えないのかな?🦥(・・?ナゼニ?
※形あるものの解釈は無限。それが分かれば妥当な範囲の異論は知見の広がりとして歓迎する事じゃ無いかな?(^O^;)ドーダロ?
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#歴史について思う事
#構造的瑕疵が無い異論
#論争よりも知見の広がりが楽しく無いかな?