こちらは日暮里ゼミナールの補講の第73回となる#147です。
今回のテーマは、前回に続き「AI」おかわり回。
最近のAI、特に画像や動画生成の進化スピードには目を見張るものがあります。かつては分業が当たり前だったクリエイティブの現場でも、AIを駆使してひとりで完結させてしまう内製化が加速しており、これまで外注されていた仕事が目に見えて減り始めているというのです。
そんな中、ぼくが議題に挙げたのは、昨年のゲーム・オブ・ザ・イヤーを獲得したRPG『Clair Obscur: Expedition 33』を巡る炎上騒動です。背景美術などにAIを使用した疑いで批判を浴びたこの一件、ぼく個人としては「ゲーム自体が面白ければ過程のツールなんて何でもよくない?」と思うのですが、特に海外では「職を奪われる」という切実な問題に加え、「AIを使うのはダサい、粋じゃない」という美学的な反発が根強いと、二村は説きます。
人はなぜ、こうも“プロセス”にこだわるのでしょうか? ぼくはこれを「天丼キャンディ」に例えてみました。すると田嶋は「たとえ味が完璧に再現されていても、飴玉ひとつで天丼を食べた満足感は得られない。ぼくらが求めているのは味そのものだけでなく、サクッとした食感や店の雰囲気、大将が揚げている姿といった体験である」と、説くのです。
アートも同様で、制作過程の苦労や文脈、人間特有の揺らぎやニュアンスこそが体験価値の本質なのではないでしょうか。
現状のAI生成物には、まだどこかAI味(不気味の谷)が残っています。しかし、もしAIがその違和感を完全に克服し、人間そっくりの皮(スキン)を被る「スキン期」が到来したら、ぼくらはそれを見抜けるのでしょうか。
ロボットが握った寿司と、職人が握った寿司。中身が同じだとしても、受け手の認知ひとつで価値が180度変わってしまう。そんな情緒という名のあやふやな領域で、ぼくら人間はかろうじて踏みとどまっているのかもしれません。
結局のところ、ぼくらがAIに抱く恐怖の正体は、効率化の果てに人間らしさという名の贅沢な無駄が削ぎ落とされてしまうことへの寂しさなのかもしれません。と、今回も明確な答えは出ないまま、議論は「スキン期」のその先を見据える後編へと続きます。
TEXT:ユスカル
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