お話を伺っていると、アウラとは物体そのものが纏っているのではなくて、物体を認知した側が物体に纏わせているのだなと思った。
・
つまりは観察者が「この物にはアウラがある」と認識したり感じたりすることによって、物体がアウラを纏うのだということ。
・
アウラを「認識する」ためには「文脈」や「背景」についての前提知識を観察者側が有していることや「物体が文脈や背景から切り離されていない」という条件が必須
・
アウラを「感じる」ためには物体そのものが観察者の「本能」を刺激する構造になっていることが必須。ここで言う本能は「生存本能」のこと。つまりは物体が「でかい」「つよい」「はやい」「こわい」といった「自分の生命を脅かすものの構造をしていること」が必須
・
(動物の二大本能は「生存」と「生殖」である。ヒトの「生殖本能」を刺激するものは「アテンションエコノミー」の文脈で大活躍している)