最澄の悲しみ。末法。
仏陀の滅後からたくさんの弟子たちは生死の苦しみから解脱し転生と永遠性を確信しつつあった。それから禅定し修行して魂を鍛え上げた。それから経典を書写し訳し註釈していく読誦多聞。その時代の集大成を最澄は生きていると思われた。それから道場を建てる、多くの塔や寺院が造営される時代に入る。そして末法である闘諍堅固 白法隠没に入る。
案の定、末法に入り最澄の教え指導思考指針は全て曲解される。経典の捉え方は曲げられていく、、、密教が幅をきかせて他の経典を隠す、法華経を隠す。経典の語意が間違えた捉え方をされるていく。例えば『善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし』にしても論陣さえほったらかしてしまって、本当に刀や槍や武器を持った僧兵となってしまったりしていている、摂受折伏の二門を履き違えていく。そのように白法が沈んで行く。
現在の南都六宗の教義哲学では全く末法時時代の衆生に対応できない、小乗仏教に近い指導に固執している。というのも簡単に述べれば徳一とか思想と同じく特殊な学問と修行を心得て達成できたものでしか衆生を教化できないなど二乗被れの指導に固執している。それは大乗といえども修行法は小乗に近く儒教道教に近く、理論の一念三千にも程遠く、未だ因果の理法に近づいていない。その中でも経典理解の高い法相宗にしても実教である法華経を下げて蔑ろにしてしまっている。このように末法において正法は下げられ曲げられ誤解されていく。
最澄の信念は『一切衆生悉有仏性』であります。これは全ての生き物(有情)に仏性有りとの理の一念三千である。
もし、正しく経典を理解し註釈して実践できれば未来である末法に起こる大難を予見して、小難にくいとどめ転重軽受できるであろう、、、
しかし最澄の教えは少しずつ脱皮していく。禅定では道元。そして一乗の教えでは法然の専修念仏と密教だけに留まらず少しずつ大乗仏教へと変革して行く。
そうだ、まずどんな経典でも良い一乗を極める事からはじめるのだ、そうだ!何か一つ誰かひとりを照らすのだ!
「一燈照隅」
それからそして必ず妙法に辿り着くだろう。
最澄はもっと時代が至れば、私の感得した理論形態の一念三千が末法にはカタチを得て、たぶんそして有情だけで無く非情のものまでもが仏性を得る時代が来るかも知れない、となんとなく確信していた。すなわちその理の一念三千の理論が誰もが全ての衆生が感得し実践できるカタチと成長して行くだろうと予見していた。(事の一念三千法門)
智顗は予言していた。『後の五百歳遠く妙道に沾わん』(法華文句)後五百歳遠沾妙道。
最澄も法華一乗の機が必ずおとずれると予言する。『当今の人機、皆転変し、すべて小乗の機なし、正法像法すぎて、おわって末法はなはな近きにあり、法華一乗の機、今まさしく、是れこの時なり。』(守護国界章)
末法、闘諍堅固 白法隠没。仏陀の教えが消え失せるその深い悲しみの中から、その末法をむかえた時に衆生機根の差別なく『その身が仏』そのものと感得して行く時代がおとずれる。(註無量義経)
そして智顗と私をも超越した実践の一念三千法門の光を導き出す、なにものかが現れるであろう、、、
日本に仏教伝来して700年がくるその時、必ず『その身、私の身色が仏』と表現して衆生を救うものが現れるであろう、、、
最澄は唐にての出会いと感動と奇跡を思い出していた。
「最澄殿、私道邃は先師智顗から七代目でございます。この七代目なる、わたくしから日本に経典が渡るには深い意味がございます」
闇は深かった。最澄の心は比叡山の山野の夜の闇の深さのように暗かった。未来を思い憂い沈んでいた、、、最澄はいつも禅定している暗い祠から出て夜の気配を感じたくなって外に出た。顔を伏せたまま歩く、ちょうど7歩目で深い絶望感に苛まれる。立ち止まって顔を上げる、しかしこんな辛い夜にも7つの星の光が刺している。宇宙に拡がる広大な7文字が悲しみに沈む最澄を照てらしてらしていた。暁は近い。時は必ず至る、、、
完