昨年の3月3日は、この「あゆたやトーク」を始めた日。
タエミさんと一緒にお喋りする「あゆたやチャンネル」はもう少し早くて、その対談用に自分のチャンネルは取得したものの、自分一人で喋る気は、桃の節句までは考えてもなかったのでした。
けどふと「桃の節句」について言葉に出したくなったときに、
スタエフでポチっと収録してたのですね笑。
というわけで、一周年の桃の節句に御礼ライブ配信をしてみました。
あのとき、ふと声を発してみてよかったなあと思います(あの流れを逃したら次の0→1、始まりは1年後くらいだったかも笑)。
ラジオやってよかったとシンプルに思うのは、
セッション以外でお話しする機会が増えたこと。
仕事柄、毎日マンツーマンでお客さんとお話ししているわけですが、
つまり、セッション以外でお話しする機会はなかなかないわけで。
セッションではきっと、それぞれの方にお役に立つような、元気が出るような、気づきをもたらすような何かをお伝えしていると思うのですが(魂さんの同時通訳ですからね)、逆にいうとどうでもいいような話、雑談とかをする機会が少ない。
ラジオではその点、仕事と離れた雑談もいっぱいできるし笑。
私的には表現しときたい事象や発見や気づきなのだけど、ただの雑談にしかカテゴライズできない話とか、そういうのがやってきたとき、ふと喋りたくなりますね。
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さてさて、内容的には、一周年らしく、フツーに振り返りとか御礼とか。
取り立てて大きなトピックなどはないのですが、
喋りながら自分にとって印象的だったのは(口が自動的に喋ってますからね)、変化と脱皮についての話。
タロットで「蛇」というのは変化の象徴です(少なくともトートタロットにおいては)。
蛇がどこかに描かれていたら、そのカードには変化のエネルギーも入ってる。
私にとっては「変化イコール蛇」と、ナチュラルに当然のように繋がってるエネルギーだけど、本来それと同等同質であるはずの「変化イコール脱皮」の、エネルギー的な繋がりをあんまり意識してなかったことに、喋ってる時に気付きました。
蛇が何で変化の象徴かといえば、脱皮するからだもんね。本来は、変化イコール脱皮、だ。
変化という根源的で必然な体験は、蛇の脱皮と同じ体感なのかもしれない。
ちょうどライブ中に、昨夏に出会った脱皮直後の蛇がやってきて(実際にきたわけではないですよ笑、ちょっと繊細さに欠けた表現になるけれど、わかりやすい言葉でざっくり表現すると「思い出す」あるいは「届いた」ということです)その蛇が体験した脱皮の体感が降りてきて、共感してました。
うーむ、脱皮というのは苦しくもありドキドキハラハラもあり、
窮屈でもどかしくもあり、でも次の何かを予感しながらエネルギー集中させてもがきながら脱皮していく、そのヘビさんの必死で全力の感覚。
みたいなのがやってきて。
変化というのは、ワクワク楽しい面白い興味深い場合もあるけれど、
蛇の脱皮のように、何が起きてるかわからない中で、モギュモギュと窮屈さから抜け出そうとして、必死でハードな感覚が伴うこともいっぱいあるんだよね、やっぱり。
それは根源的な体験だから、生命である限りその味わいも必然であって。
そして脱皮後の蛇は必ず成長しているわけで。
ていうか、成長したから脱皮するしかない、みたいな。
そんなことを体感していたら、なんだか、変化や脱皮もろもろを(おそらくヘビさんみたいに)丸ごと淡々と受け入れた感覚があって。
「今そのようだからそのようにあるのだ」という、あるがままの状態を、考えることもなく、ただシンプルに受け取ってるヘビさんの感覚、とでもいうか。
それを感じた私の「まあ生命だから、変化するのは冬に寒くなるとか、夏に暑くなるくらいフツーだよね」みたいな納得感。
ヘビさんの脱皮体験とリンクしたことで「変化」を前よりも大きな感覚で捉えられるようになりました。脱皮、ひいては変化についての知覚が拡がったような深まったような。
とはいえ、その深まりは、ほんの薄皮一枚程度なんですけどね。
薄皮でも成長は成長(笑)。ある意味これも変化の一つ。
変化は必然。そしてそこに伴う感情、感覚はどんなものであれ、それも必然。
今後そこから、自分の発する言葉の「変化」や「脱皮」が、より根源の体験を伴って発せられるといいなって思います。
そういえば、今年は巳年でもありましたね。
喋りながらの、嬉しい気づきでした。
…というのを忘れそうなので、メモ書きしてみました。
#気づきと変容