1977年4月6日、小学6年生になったばかりの俺は、テレビで初めて「ドラゴンへの道」を観た。思えば、これがすべての始まりだった。観終えた瞬間、俺の中のそれもあでの熱中要素だった野球熱は瞬時に消え去り、心は完全にブルース・リーに奪われた。
翌月、浅草の映画館で「燃えよドラゴン」が上映され、可愛がってくれていたおじさんに頼み込んで連れて行ってもらったのが翌月5月5日のこと。
劇場はやっぱり俺のゆかりの街、浅草の映画館・浅草ロキシーだった。
この時買ってもらった、映画のパンフレットは今でも大切に保管している。ボロボロだが、ある意味、俺の“原点”を示すアイテムの一つ。
今回は、あんなに好きだった野球から一変〜ブルース・リー一色となり、アクロバット習得のため器械体操部に入り、さらにそこに拍車をかけたのがジャッキー・チェンの出現だった。
やがて高校生に入り、1年に1本ずつ8mmフィルムによる自主映画制作する展開に。元をたどると全てはブルース・リーによって人生が変わったというエピソードのパート2です。
【もくじ】
0:00 「ドラゴンへの道」初放送が運命の日
2:14 ブルース・リーの前は野球少年だった
4:04 体操部を目指した理由もブルース・リー
5:09 ファンのあるある?カンフーの練習法
6:59 小6からアクロバット練習を始めていた
9:40 体操上達は強烈な目標があったから
12:15 体操熱を更に高めたジャッキー・チェン
14:42 高校で3本自主映画制作「ぴあ」で入選
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