これまで、作者と読者の出会いが作品を作っていることを太宰治や外山滋比古から学び(136回)、物語を紡ぐことで「相貌的知覚」が生じることを野矢茂樹から学んできました(137回)。今回は、知覚を経験する主体は誰なのか? それを木村敏『境界としての自己』を通じて考えてみたいと思います。ところで最近、私は転倒して怪我をしてしまいました。また私はジムに行き始めました。それらの経験が今回の話を考える大きな示唆を与えてくれました。(竹内)
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