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「神が宿る前に、力があった──ミシャグジ信仰で問い直す、諏訪の土地と見えないもの」 を解説します。
元記事:
神が宿る前に、力があった──ミシャグジ信仰で問い直す、諏訪の土地と見えないもの
https://media.0life.style/toinaosu/mishaguji-suwa-land/
古い神社に入ると、
なぜか声を潜めることがあります。
樹齢を重ねた木の前で、
理由もなく足が止まる。
巨石のそばで、
何かに見られているような気がする。
それを、
気のせいだと思う。
けれど、
気のせいだと思ったはずなのに、
なぜ身体は先に反応してしまうのでしょうか。
諏訪の信仰をたどっていくと、
その感覚に名前を与えてきた存在に出会います。
ミシャグジ。
木や石、土地や境界に宿るものとして語られてきた、
姿を持たない力。
神なのか。
精霊なのか。
土地の力なのか。
その正体は、
簡単には定まりません。
今回のラジオでは、
なぜミシャグジは、名前が定まらないまま残ったのか
木に降り、石に宿るという感覚は何を示しているのか
縄文から続く土地感覚と、諏訪信仰の古層
敗れた側とされる守矢氏が、なぜ祭祀を担い続けたのか
土地は、所有するものなのか、それとも関係を結ぶものなのか
そんな問いを辿りながら、
ミシャグジ信仰に残された
**「名前になる前の土地の力」**を読み解いていきます。
私たちは、
名前がつけば理解したと思います。
分類できれば、
把握したように感じます。
けれど、
名前になる前から存在していたものは、
名前だけでは捉えきれない。
木の前で立ち止まる感覚。
石に何かを感じる身体。
境界を越えるときに変わる空気。
それらを、
昔の人は無視しませんでした。
所有する前に、感じる。
開発する前に、畏れる。
使う前に、祈る。
ミシャグジ信仰は、
土地との関係を終わらせないための知恵だったのかもしれません。
神とは、
名前を持つ存在だけなのか。
土地とは、
所有するものだけなのか。
見えないものとの関係を、
私たちはもう一度、
問い直されているのかもしれません。
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