知能テストとしてほぼ唯一且つ絶対的な王者たるWAISですが、あれも時代に合わせてまあまあ内容を変えて今はWAIS-Ⅳです。「知能が高いとはなにか」には正解はなく、みんなが何を知能が高いと思うかが先にあります。みんなが、と書きましたが、最初はウェクスラー先生が、だったわけで、それがみんなに受け入れられて、だからWAISが世界標準になったわけで。
なんでもそうですが、「これってそもそも誰が決めた?神様が決めたわけでもあるまいし」みたいな根本まで遡ってみると、色々と違って見えてきたりしますよね。もちろんそんなのは分からないっちゃ分からないんだけど、それでも何とか自分の責任で考えてみる「姿勢」の問題です。
科学もスピリチュアルも根本的には同じようにある種の思い込みであるとしても、僕がスピリチュアルが嫌いなのは、その根本まで遡ろうという「姿勢」を放棄している、排除している、逃げている(そもそも逃げていると気付いてさえいない)ように見えるからです。
「これであれが分かるらしいよ」からスタートするのがもやりポイントです。だからみやけんさんの悟りの先生の話ももやります。
スタートの「これであれが分かるらしいよ」に対しての、なんでそれが分かると思ったの?への疑問が足りない。もちろん人の認識は「そう思うからそうなのだ」の域を出ない。それはそうなのだけど「行けるとこまど行ってみようよ」の姿勢が少ないのが嫌いな原因かなと今思いました。
何故かWAISからスピ嫌いの理由に話が展開しました。
「知能ってナニ?」と思うべきだ、ってことですね。「知能テストで知能が分かるらしいよ」からスタートするのが気に入らない。その対象が科学であっても気に入らない。それは科学的な姿勢じゃない。態度が気に入らない、てことですね😅