こちらは日暮里ゼミナールの補講の第83回となる#167です。
今回も二村、田嶋、大内、そしてぼくの4人が顔を揃えての収録です。前回は、あえてテーマを決めずに話したら意外と成立したという謎の手応えがあったものの、今回は大内の号令のもと、あやふやな概念にぼくらなりの答えをひとつ導き出してみようという試みになりました。その最初の議題が「清潔感とは何か」です。
世間、とりわけ女性陣が口を揃えて求める清潔感。しかしこれ、実際にお風呂に入っているかとか、体臭があるかといった物理的な衛生状態と、見た目の印象が恐ろしく乖離しているから厄介です。
たとえば、スーツの肩にフケが積もっているとか、爪の間に黒い垢が溜まっている、汗でダークスーツに塩が吹いているといったものは、もはや清潔感以前にただの不潔であり論外。
問題は、体毛が濃かろうが太っていようが、長髪だろうが清潔感がある人がいる一方で、毎日身体を洗っていても不潔に見えてしまう人がいるという現実です。
ガタイがよくて髪が長くても肌がつるつるでどこか引き締まって見える人もいれば、電車で見かける疲れたおじさんのように、散髪を怠った襟足や斑な白髪、曇った眼鏡だけで一発アウトを食らう人もいる。
議論の末に行き着いた答えは、肌質や襟足の手入れ以上に、じつは男女問わず“姿勢”なんじゃないかと。
背筋がピンと伸びているだけで人の見た目は四割増しになるし、その背筋の良さには自分を律してコントロールする自戒、つまりアティチュード(心の姿勢)がそのまま表れるのではないか。ひとまず清潔感の正体は、物理的な姿勢とアティチュードの両立ということで全員の意見が一致しました。
続いて紛糾したのが「色気とは何か」という問題です。
ぼくの持論としては、色気の根底にあるのは異性に慣れていること。女性を前にしても1ミリも気取らず、目が泳がず、男女の垣根なく接することができる余裕こそが色気の正体であり、だからこそ二枚目でもないのに異様にモテる男が存在するのだと説きました。
しかし大内から「それは単なるモテの理由であって、万人に対する色気とは違うんじゃないか」と鋭いツッコミが入ります。
ステレオタイプのセクシーと、内面から滲み出る色気は似て非なるもの。昭和の大スターたちのように年齢を重ねても抗えない色香を放つ人たちに共通しているのは、他人の反応に左右されず、自分だけの世界を確立している芯の強さではないかという話に落ち着きかけました。
もっとも、色気の正体は自分の世界(芯)を持つことという着地点に対しては、田嶋や二村からも「ちょっと答えとしてぬるい」「再考の余地あり」と物言いがつき、大内に至っては最後に「やっぱり色気も姿勢なんじゃないですかね」と蒸し返す始末。結局、何ひとつ明確な結論は出ないまま、おじさんたちの哲学問答は後編へと持ち越されることになりました。
TEXT:ユスカル
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