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#573 現代における「祈る心」のあり方を考える

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2021年4月9日金曜日夜 頂いたレターへのご返信です^_^
2021年4月9日
コメント(4)
keyboard
高尾先生こんにちは 産婦人科医という枠に囚われない 人として、悩みに真摯に向き合って、受け止められる高尾先生を尊敬致します。 私は無宗教ですが、綺麗な夕日を見れば自然と合掌し、今日一日みんなが無事に過ごせ事に感謝したり、お食事の前にはまた自然と合掌し、食事をしています。 拠り所となる大いなる自然に畏敬の念を抱くことは心に留めて、祈りはどこから来るのか、改めて考える機会を与えて頂き感謝します。
2021年4月10日
いいね 4
だもん
先生、毎日の配信ありがとうございます。 私は休みの日は近所の神社にお参りに行きます。無宗教の私は神様になんていうものなのかな?と考えた末の答えは、「幸せであれるよう私が頑張れますように」です。海外の旅先でも同じです。それでいいんだって、また背中を押していただけたような気持ちです。
2021年4月10日
いいね 1
あんず
こんばんは。 発信するのが難しいテーマにも、いつも通り誠実にお答えする先生に、慈悲の心を感じます。ありがとうございます🙏
2021年4月10日
いいね 2
kotobato
祈る=意宣る 自分の力だけでは不安な時や、自分がとても小さく感じる時、大きなものに力を貸していただけるように自分の意志を宣べるということなのだと感じています。 わたしは新興宗教と呼ばれるものに入信していました。親は良かれと思って子供を入れました。 しかし兄弟全員が、それをずっと続けているわけではありません。 今現在、続けているのは長男・長女になります。 私自身活動する中で、これはいいことだと感じて頑張っていたこともありました。しかし、ある時疑問が湧き、辞めることにしました。母に言うとその時は本当に取り乱し、激昂しました。多分、幸せのためにやっていることという自負もあったと思いますし、大きい組織の中で役職についていたりもしました。その手前もあったのではないかと思います。組織というものが大きくなればなるほど、いろんな人がいます。ある時母から同じ組織の人が、町会の中で良くないことをしていると不満を漏らしていました。わたしはその時にはもう辞めると母に言っておいた後だったので「その人はなんのために宗教をしているんだろうね。同じ宗教の人がそういうことをしていたら、その宗教はそういうものだと思われてしまうし、そうでないとお母さんが思っているなら、ちゃんと町会のみんなで話して人の行いとしてどうか話し合って解決した方が良いよ。愚痴を言っていても解決しないでしょう」と話しました。 離れることで客観的にはなすことができることもあると思います。 今現在上の二人は素直にやっていますし、他の兄弟はやめましたが、普通に幸せです。わたしは神社にもいくことができるようになり、真剣に祈る方の姿や絵馬を見てどんなことを祈っておられるのかを感じたりしています。 お互いに認め合うことが大事かなと思います。
2021年4月9日
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