祈る=意宣る
自分の力だけでは不安な時や、自分がとても小さく感じる時、大きなものに力を貸していただけるように自分の意志を宣べるということなのだと感じています。
わたしは新興宗教と呼ばれるものに入信していました。親は良かれと思って子供を入れました。
しかし兄弟全員が、それをずっと続けているわけではありません。
今現在、続けているのは長男・長女になります。
私自身活動する中で、これはいいことだと感じて頑張っていたこともありました。しかし、ある時疑問が湧き、辞めることにしました。母に言うとその時は本当に取り乱し、激昂しました。多分、幸せのためにやっていることという自負もあったと思いますし、大きい組織の中で役職についていたりもしました。その手前もあったのではないかと思います。組織というものが大きくなればなるほど、いろんな人がいます。ある時母から同じ組織の人が、町会の中で良くないことをしていると不満を漏らしていました。わたしはその時にはもう辞めると母に言っておいた後だったので「その人はなんのために宗教をしているんだろうね。同じ宗教の人がそういうことをしていたら、その宗教はそういうものだと思われてしまうし、そうでないとお母さんが思っているなら、ちゃんと町会のみんなで話して人の行いとしてどうか話し合って解決した方が良いよ。愚痴を言っていても解決しないでしょう」と話しました。
離れることで客観的にはなすことができることもあると思います。
今現在上の二人は素直にやっていますし、他の兄弟はやめましたが、普通に幸せです。わたしは神社にもいくことができるようになり、真剣に祈る方の姿や絵馬を見てどんなことを祈っておられるのかを感じたりしています。
お互いに認め合うことが大事かなと思います。