私は教職に従事しています。高尾先生が他のプロフェッショナルな仕事にも同様のことが言えるのでは、、という主旨のことをおっしゃったので、常々感じでいることをコメントさせて頂きます。
私は、職場が高校ですので、専科として特定教科を担当していますが、その専門性の正しさを教授する前に、一個人としての物事一つひとつに対する「正義」の価値観があまりにも多様化して、40人もの高校生を前にいつも愕然としてしまいます。
集団行動での最低限のルールの遵守など基本的な概念から、なぜ勉強するのか、、に至るまで、中学生までに一定の正しさの共有がなされていない印象です。
個性や自己主張を尊重されてきた結果なのか、それぞれが好き勝手、自分勝手に稚拙な言い分を声高に主張し、一対一で相手をしてもらえるまで、個を主張し続ける生徒が多く感じます。
専門性のある知識を正しく伝えつつ、それに、優しさをブレンドしたい気持ちは山々ですが、難しさを痛感しています。
医学や医療の知識は、本来人間なら誰しも、時を同じくしなくとも、必要とする状況がある程度の緊急性や深刻度を伴って求められるものですから、優しさ<正しさになってもその言い方や断言が、治療法への決断の一助になる場合もある気がしています。
「自分のためを思って言ってくれている」という主観をどこで抱いてもらえるかは、相手次第ですね。
私が「正しい」と信じて拠り所にしていたものが、今、この時代、全く逆の捉え方になり
経験したことのない価値観に日々打ちのめされる気持ちですが、最後は、やっぱり「人が好き」と自分自身に問いながら、教室に入っています。