現在と過去との自己内対話は単なる懐古ではなく、これからの「意味」探求への可能性か(15分)
2024.6.10 My Car Studioより
以下、2024.6.10今朝のフェイスブックより。
目下、ある書き物をしながらも、
ガチで現在と過去との自己内対話中。
テーマは「越境する教育学のルーツを探る」。
単に過去を懐古/回顧するのではなく、
記録としての「史資料」が「発掘」されることで、
うっすらとした記憶でしかなかったことが、
徐々に、当時の事象/事実が想起されてくる。
それらの「史資料」批判を経て、
記述言語化することで新たな「意味」が見えてくる。
ある方が「読ませていただきながら、成田先生の学びの歴史を知ることができました」というありがたいお言葉を頂きました。
こうした趣味のような「自分事」でしかない記憶/記録も書き残されると、
当時「時代/時空間」を共にした方々だけではなく、
今ここ/現在史を生きる方々にとって、
当時の「事象/事実」は実感できなかったとしても
「意味」を共有できる「¿ 可能性 ?」はあるのかもしれない。
「可能性」にはいろいろな英訳があるが、
英語の“question”には、否定型で用いられることが多いらしいが、
「可能性」の意味もあるとか。
不可能を可能になさる方が1人でもおられたら、いいなぁ。
【現在と過去との自己内対話】の足跡🐾 :時々更新中
・越境する教育学のルーツを探る:Holistic Curriculum編(上)
https://note.com/narisen2017/n/n555730a6dce3
・越境する教育学のルーツを探る:Holistic Curriculum編(下)
https://note.com/narisen2017/n/n1a7a8e214bea
・越境する教育学のルーツを探る:大学院における研究-実践 編(上)
https://note.com/narisen2017/n/n62db4ac19959
2024.6.10記
以上。