~するべき、~の方が良い、という基準があるから社会が安定化していたみたいなこともきっとあるので、それはそれで意味があるのかなとは思います。僕も苦手ですけど。
例えばスカンクさんなんかは「べき」結構好きですよ。ヒーロー活動(おかんはあかん)ってのは「べき」と「の方が良い」を教えてあげる行動なのですから。「べき」が亡くなるとルール無用、酷ければカオスになります。他人への強要ですよね。「強要じゃなくて推奨だ」とか言葉を変えますけど、強い弱いの違いがあるだけで構造は強要です。
そしてその強要があるからこそ人間は群れを作ることが出来るのかも、という風に最近思い始めているところです。
ワイドショー的な他人への興味とSchadenfreude(シャーデンフロイデ)のようなゲスイ人間の感情ってのは人間が社会を構成するのに必要な能力かもと思います。
こういうのが苦手な僕らみたいな人間は、社会のスパイスとしては良いものと思いますけど、社会の中心にはならないし、社会にたくさんいてもらったら困るものなのかなと思います。