第143回 宗教音楽をどう聴くか ―異文化芸術に抱く違和感の健全性―
クラシック音楽の批評を読むと、レクイエムもミサ曲も、交響曲や協奏曲と同じように、その完成度や美しさなどを音楽用語を用いつつあれこれコメントしています。しかし、私など、典礼文が歌となっているキリスト教世界の音楽は、まずもって彼我の文化の大きな断絶を感じてしまいます。そうした壁や違和感を触知することが、実は大事なのではないかという視点で話してみたいと思います。前回話したブロムシュテットのメンデルスゾーン『讃歌』から、レヴィナスや村上陽一郎の話へと展開する予定です。(竹内)
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