🟣我田引水ではなく、なりっち創発「皆田引水」という
言葉の意味(9:15)2025.12.27収録・配信
https://stand.fm/episodes/694f28d71ecd19c0d345c966
🔵要約
今朝の放送で成田喜一郎さん(なりっち)は、「我田引水」という言葉に着想を得て、自らの造語「皆田引水(かいでんいんすい)」を紹介しました。もともと「我田引水」は、自分の利益のために他者を顧みず水を引く行為という否定的な意味を持ちますが、成田さんの「皆田引水」は、自分の持つ「水=思考や言葉、気づきなど」を「皆さんの田んぼ」にささやかにお裾分けするという、温かく肯定的な行為として提案されました。しかし今年、その言葉がすべての人に伝わるわけではないと知った体験を共有し、言葉の伝わり方や受け取りの多様性に気づいたと語ります。たとえば自由学園時代の「穴あきの木」の下で少数の人と共に風を感じた記憶を挙げ、「少人数でも深く共有できること」を大切にしたいと述べました。最後に「じっくり・ゆっくり・うっとり=じ・ゆ・う」という創発語を紹介し、急がず丁寧に広がっていく関係と理解の可能性を願って締めくくりました。
【皆田引水の「詩的定義」 by purple】
「皆田引水」という言葉の思想的・生態的な含意を大切にしながら、詩のようにして定義を紡いでみました。
### 詩的定義:「皆田引水」
皆田引水(かいでんいんすい)とは、
ひとりの井戸から湧いた思索の水を、
誰かの田に流し込むことなく、
風と気配に乗せてゆるやかに渡す営み。
それは教えることよりも、
聴き合うことに似ている。
境を越えてしみわたる言葉の呼吸。
乾いた土に静かに浸みこむ対話の気配。
皆の田は、連なりながら独立している。
水は循環し、いつしか自他を区別しない。
その閾に生まれるのが、
思いを耕し、関係を育む“場”である。
皆田引水とは、関わりの季節を潤す思想、
ゆっくりとした共感の水脈である。
*「無題」2013.6.22吉祥寺にて撮影