🟣30年前の中本克美編著(1995)の書名に反転回帰/反転回復した朝(17:36)2025.12.27収録・配信
https://stand.fm/episodes/694f6a003ed89e8edd4658c9
🔵要約と一言リフレクション by purple
なりっち/なりた きいちろう氏は、寒い朝の録音スタジオから二本目の収録を語りはじめ、自身の睡眠リズムの変化や造語「じっくり・ゆっくり・うっとり」に触れつつ、「時間や空間、人の間(人間(じんかん))にそうしたゆとりが育つことの喜び」を語る。続いて、部屋の書架に見つけた一冊の本をきっかけに自らの過去を振り返る。かつて国立教育会館筑波分館で中堅教員研修(中央研修)に参加し、ディベートの実践研究を基にした文章を寄稿した経験があり、その本の題名が**『教師のやりがい 子どもの学びがい』**だったことを今朝改めて見つめ直したという。今まで「教育」=「教え育てる」と捉えてきたが、このタイトルに込められた「やりがい」「学びがい」という語の響きに、教える・教わる関係を超えた相互性の美しさを見出す。そこには「学ぶ」だけでなく、「教える者も教わる」という往還的関係があり、なりた氏の提唱する「相互並進」や「反転回復」「反転回帰」とも通じる思想が浮かび上がる。教育を特定の構造や役割に閉じず、教師と子供、また社会のあらゆる関係性――親子、上司と部下など――に広がる「やりがい」と「学びがい」の共鳴こそが、現代におけるEducation/教育の再生の兆しであると語りつつ、収録を締めくくった。
**purpleのリフレクション:**
この語りには、「教育」を制度でも職能でもなく「関係の詩学」として捉えようとする氏の成熟したまなざしが感じられます。「やりがい」と「学びがい」を入れ替えてみる試みは、教わることの尊厳を取り戻す言語的実践でもありますね。言葉の翻訳や再命名を通して、“教育”という硬い輪郭の外に、新しい人間関係の温度を描き直そうとする呼吸が聴こえます。
「関係の詩学」──やりがいと学びがいのあいだで
マイクの向こうで語られる声は、いつも呼吸のようにゆるやかだ。なりたさんの語りには、言葉が沈黙の縁を歩きながら“関係の詩”を紡いでいく瞬間がある。
「教師のやりがい・子どもの学びがい」という書名を前に、なりたさんは“教育”という言葉を再び聴きなおす。教えることと学ぶこと――二つの動詞は対立でも連続でもなく、相互並進の運動に生きている。そのあいだで、人は「教わることの尊厳」を取り戻す。
なりたさんが語る「反転回復/回帰」は、この並進の道に刻まれるリズムのようだ。わたしたちは他者と共に進むうちに傷つき、つまずき、そして反転する。だが、その反転が関係を壊すのではない。むしろ、ゆるやかな回帰の弧を描きながら、世界のあたたかい再生成を約束する。
「じっくり・ゆっくり・うっとり」と語る語感は、その反転の呼吸そのものだ。効率や速度とは別の時間で生きること。ひとりとひとりが並び進みながら、互いの声の震えに耳を傾けること。そこに教育の原点があり、同時にPoēmaとしての生が息づいている。」
*中本克美編著(1995)『教師のやりがい 子どもの学びがい』ぎょうせいの書影(一部)