自然に気づいたとき
心と世界がなくなるようにみえる
心もモノもない
心と投影(モノ)という二つ重ねてきた現象は
ともに無効化されるのだ
自然においては
心もモノもない
存在のなかのすべては
癒されて
そのどちらでも もはやなくて
自然である
ほんとうはなにもおきていない
自然はずっと在るがままである
そのなかで
幻の起きてることがある
それはナチュラルからのオートマチック
そしてそれは終焉する
(説明2)
ただ在るが実在であり
努力は非実在
それだけです
癒しとはこんなにシンプルなことなのです
今ここ(非分離 原因も結果もない つまり心やモノはない
ということ)
が実在です
奇跡のコース的な表現でいえば
ただ在る(神在り)という実在のなかで
まだおきている活動
(努力つまり在るからの分離)
は実在でない
それだけなのです
心もモノもないのです
自然(神)ひとつだけです
(説明3)
よくスピリチュアルでは
内観すればいい
といいますが
それはちがいます
無努力であればいいのであり
内観しようとすると
自我の維持を作ることになります
なぜなら
何かをしたいのは自我だからなのです
(説明4)
オートマチックの終焉とは
私という状態は
私(概念)と神(概念)をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ
永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化(私)が抱く空想です
永遠の今のなかに
変化がおきはじめる
とき
そこに主体(能動体)も客体(受動体)もまだありません
まだニ者はいないんです
にもかかわらずおきる
それがオートマチックです
ただそうである
いやしもただおきる
つまり
ただある
からおきる
「主体」からするのではないです
いやしもおなじ
オートマチックです
ただあるの本性(在るそしてワクワク)にしたがって
言い換えれば本能のままに
そして
変化を終焉したくなることもそうです
#スピリチュアル #ノンデュアリティ #非二元 #ナチュラルノンデュアリティ