こちらは日暮里ゼミナールの補講の第76回となる#153です。
これといった明確なテーマを置かない今回は、ぼくのLINEでの発言をきっかけに、ぼくらの日常の観察から導き出した「自分なりの統計学」の開陳となりました。
たとえば、長女はプレッシャーの影響で「貧乳になりやすい」という女医さんのエビデンス(?)や、そこから派生した「子役出身の芸能人は幼少期から大人の世界で立ち回るからホルモン異常で背が低くなりがち説」。あるいはテレビで見かけた「埼玉県は睡眠時間が短いからバストサイズが云々」といった、因果関係はラフだけれど妙にそれっぽい俗説で盛り上がります。
さらに名古屋出身の二村からは「中京圏の古い人間は性格が悪い、すぐ村八分にする」という地元発の強烈な自虐が飛び出します。新潟や長野、京都の卑屈さの歴史にも通じる「地元いじり」ですが、観光地を聞かれて「来ても見るもんないよ」と本気で答えてしまう名古屋の卑屈な空気感は、もはや愛おしさすら覚えます。
そこから成長と栄養の「たまごとひよこ論」や、ぼくら時代の「遠足のお菓子代は三百円か百円か」という物価の話を経て、大人の男の「嗜好品と男らしさ」へ。
40歳を過ぎてスナック菓子やカルビが重くなるのが大人の男らしさ(少年性)かと思いきや、話は「あざとさ」の境界線、いわゆる「やってる/やってない」のボーダーライン検証へと突入しました。
この「やってる」というのは、一周回ったあえて感やわざとらしさ、自分へのジャッジの甘さが見えてしまうポーズや仕草のこと。
たとえば、高円寺あえての四畳半界隈が着る「ラクトコーヒーTシャツ」や、明治、ビスコ、キッコーマンといった国内の企業ロゴTシャツ。
二村のジャッジでは「コカ・コーラやトヨタは市民権を得ているからやってないが、ビスコはやってる」。さらには、現代の電車内で紙の新聞を綺麗に折りたたんで広げる行為や、ネットで買えるのにわざわざジャンプを紙で読む行為も、完全に「やってる」に認定されました。ちなみに、二村が「日暮里」とデカデカと書かれたTシャツを背負っているのも、ぼくから言わせれば完全に「やってる」側です。
自分ではナチュラルだと思って手に取っているものが、じつは周囲から「やってんな」と思われているかもしれない恐怖。自己認識のズレを徹底的に炙り出すため、次回は各自が「これ、やってる?」と思うギリギリの勝負服やアイテムを持ち寄る「やってるコレクション」を開催しようかと(曖昧)。
皆さんも、自分が無意識に「やってしまっている」ボーダーラインを見つめ直しながら、次回の泥仕合を楽しみにお待ちください。
TEXT:ユスカル
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人生に「キク」ラジオ - 日暮里ゼミナール
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