こちらは日暮里ゼミナールの補講の第77回となる#155です。
さて今回も特にこれといったテーマを設けず、前回補講でも話題となった“やってる”概念の深掘りで勝手に盛り上がっていきます。
そもそも“やってる”とは何なのか。二村は「すでに市民権を得たモノならやってない」と言いますが、ぼくと田嶋の解釈は異なります。たとえば二輪免許もないのにライダースジャケットを着て「あの単車マジでいいよね」と語り出すような行為。つまり“やってる”の本質とは、他者を安く見積もり「この程度なら騙せるだろう」と無意識に仕掛けてくる、浅いポーズや確信犯的アピールにあるワケです。
野球帽ひとつ取っても議論は紛糾します。二村の分析では、ナイキやニューエラとコラボして洗練されている読売ジャイアンツは最もファッションとして成立していて“やってない”寄り。しかし他社製の中日ドラゴンズやヤクルトスワローズは“やってる”判定になり、二村がメルカリで買ったという近鉄バッファローズなどの廃止球団のキャップは完全に“やってる”に認定されました。
結局のところ、そのカルチャーとアイデンティティが本当に結びつききっていないのに、ポーズとして取り入れるのが“やってる”の正体です。界隈の人から見れば笑われてしまうようなニワカな仕掛けを、外向けに発信してしまうあざとさと言い換えてもいいでしょう。逆に、本当にそのジャンル精通していれば“やってない”ことになる(もちろん例外もあります)ワケです。
その境界線を検証するために挙げたのが「車の後ろに貼る『水曜どうでしょう』のステッカー」問題。古いマーチやデミオに貼ってあったら“やってる”感が出ますが、これがもしポルシェに貼ってあったら、逆に車へのこだわりを捨ててまで自己表現したいという本物の愛が証明され、“やってない”という逆転現象が起きると、二村は説くのです。
この、やってるセンサーの感度は個人差が激しく、田嶋は「ユスカル家はもはや夫婦揃って“やってる警察”」であると説きます。つまり、基準がかなり辛口であると。確かに我が家には「ニューヨークに行ったこともないのにヤンキースの帽子を被るな」とか、「行ったことのない土地の赤べこや木彫りの熊などの土産品を家に飾るな」といった鉄の掟があるのですが、二村からは「ひねくれすぎだ」と一蹴されてしまいました。
人によって判定基準がまったく異なるこの“やってる”問題。いつか「これってやってる?」という事例を100個くらい集めてリスナー投票を行う「やってるコレクション企画」を開催したいと目論んでいます。
みなさんも、外出する際は自分の格好が“やってない”か、胸に手を当てて確認してみてください。
TEXT:ユスカル
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