1. 神経科学研究の規模と認知科学との距離
2000年代前半の脳神経科学研究者
日本神経科学学会と日本神経化学会の会員数を合わせると、約5,600名
米国神経科学会の会員数は、海外会員を含めて約32,000名
多数の研究者の中には認知過程の解明を目指す人もいたが、認知科学会への参加は少なかった。
2. 脳の階層的情報処理とトップダウン制御
神経科学は、生物学的実体としての脳を対象に、分子・細胞・局所的神経回路などの微視的階層から知見を積み上げてきたため、個体という巨視的階層を扱う認知科学との具体的な接点がなかった。
一方、神経科学も最終的には、脳領野、脳全体、個体という巨視的階層の解明を目指している。
その理由は、次のとおりである。
① 感覚器が受容した光、振動、圧力、歪みなどの物理エネルギーや、酸・塩など数十万種類の分子による化学刺激は、電気信号に変換されて脳へ伝わる。そして、大脳皮質で情報が変換されて初めて、視覚像、音、寒暖、匂い、味、姿勢などの感覚として知覚される。
② ヒトは、感覚入力のきっかけがなくても脳内で自発的に想起し、記憶内容を利用する。
③ こうした巨視的階層の状態が、微視的階層の現象を制御している。
③のようなトップダウン制御の例として、注意、期待、不安、長期記憶の内容によって、同じ刺激でも知覚が異なることが挙げられる。
3. 心の理論と他者理解の神経基盤
機械とは異なり、ヒトのトップダウン機構は、円滑で柔軟な情報処理に役立っている。神経生理学の分野では、伊藤正男が小脳の長期抑制を実験的に実証する際、「小脳皮質に特殊なシナプス可塑性が存在すると仮定し、これによって小脳皮質の神経回路網で出現する。次いで、他人の視線を自分から離れた空間まで追跡するようになり、18か月頃までには、他者がある対象を注視しているとき、『その人は対象について心の中で考えている』というように、他者と対象を関連付けられるようになる。
自閉症の人々は、自分や他者の心的状態を推測することが難しい。
「心の理論」の心理学的検査により、自閉症の早期診断が可能になった。また、「心の理論」検査と無侵襲の脳活動測定を組み合わせることで、自分や他者の心的状態に注意を向け、それを推測する能力を担う前頭葉の部位の機能が解析されている。
4. 理論・計測技術の進展と認知科学との接点
「神経回路網が学習能力を持つことを導き出す」というMarr-Albus理論に啓発されたことは、よく知られている。その後、各微視的階層の解析に理論科学的手法が用いられるようになった。特に、神経回路網における電気生理学的刺激の収斂や発散の解析では、情報科学的手法が有力であり、ある微視的階層の情報から、より巨視的な階層の情報を組み合わせ、生成することに貢献している。ここでシミュレーションの対象となるのは神経情報であり、生物学的な神経回路そのものではない。近年、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)、近赤外光脳血流計測法(NIRS)、脳磁波測定法(MEG)などの無侵襲な脳活動測定法や、低侵襲な単光子放出コンピュータ断層撮影法(SPECT)では、感度、解像度、走査速度が向上した。これにより、健常者の自然な状態の脳を対象に、脳内部位という微視的階層の現象を解析できるようになった(図表6)。その結果、脳のハードウェアに関する神経科学的知見と、ソフトウェアに関する認知科学的知見との接点が見いだせるのではないかという期待が高まり、約5年前から神経科学者の認知科学会への参加が増えている。
石井(2004)心の科学としての認知科学,科学技術動向 2004年7月号
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