まさに「流れ弾」というのが全てのように思いました。そのような価値観しか持ち合わせていない方とは、例え仕事上でも付き合いたくないです。私の20代を思い返すと、看護職に就職した頃は言われっぱなしでしたが、徐々に「絶対舐められてなるものか!」と笑顔で意地になり、認められる仕事をしようと必死でした。舐めてかかってくるような相手には、あえて落ち着いた口調で対峙します。私なりに学んでいる内容をきっちりと相手が納得しやすいように詰めていく方法です。この経験が今、看護職から離れて 子育てメインの生活に おおいに役立っています。子ども絡みの親付き合い、先生とのやり取り、怖いもんなし とは言いませんが、いい加減な対応をする人を見抜く力がついたので 様子を見てキッチリ釘を刺す見極めが出来ます。あの頃の悔しい思い、めちゃくちゃ役立ってます。
ただ、障害児の子育てをして初めて気付いた価値観ですが、脳の機能にはバラつきがあり、人の生まれ育ちには想像を絶する経験をしている人があり、全ての大人が成熟した人格を持っているとは限らないということです。こちらがコミュニケーションの努力を重ねても、相手にそれを受け取る度量は無い。ということがあります。差別的な意味では無く、キャパシティの問題だと感じるので それはそれ、これ以上関係性を深めるのは困難、と見切ることも必要です。自閉症の息子は、考え方の道筋が大変独特で 家族であっても分かり合うことが難しい。体は健康で普通に喋るのでパッと見では障害があるとは分かりません。ただ、コミュニケーションには大きな課題を抱えており親としては不安です。コミュニケーションを楽しみ、家族以外の理解者に出会い、相手を慈しむことで自分も尊重される経験が必要と思いますが かなり難しいです。見切るというと冷たく感じますが、淡々としたコミュニケーションを好む人もいる、というのも現実です。