なちっちにリクエストが届いた!そのわけは?(22分)
https://stand.fm/episodes/6710626986ad0a0e9f972f66
2024.10.17 My Car Studioにて収録(限定公開から一般公開へ)
・キリンジ/kirinnji「自棄っぱちオプティミスト」2006
https://www.youtube.com/watch?v=hykj3hTB4iw
作詞・作曲 堀込高樹 編曲 堀込高樹 堀込泰行
・歌詞
https://www.uta-net.com/song/109458/
・リスナーのtomosuさんからのリクエストだった
・リクエストをくださったわけ
高森順子さんの「パパがコロナで死んでも、人生は続く——自棄っぱちケアのための試論」(12,300字)
https://distance.media/article/20240918000312/
・これを読まれたtomosuさんがなりっちに紹介してくださった
AIさんのsummary
・高森順子さん
・おそらく論文や書籍には書かれない研究者の「まなくら」が痛いほど感じた
・数年前に父上の死をご経験された、『ケアする建築』をお書きになった山田あすかさんに高森(2024)をお伝えしたい、否、フラッシュバックされてしまうか.....
・記憶 記録 ケアという概念、「忘却と発見」「感覚の忘却と発見の表裏一体」.....楕円の思想・哲学 通底する
・tomosuさんをはじめリスナーさんも、今まで書き残してきたテキスト(LINEやXやFacebookのメッセンジャーなど)、その記憶を表現されて記録/Documentationとして書かれるといいかもしれない、と思った
・高森さんは、私の娘と同い年か
・学会でご一緒する40代の「若手」研究者とシェア、したい記事だと思った、高森(2004)
・研究者も人、生活者市民/住民、まなくら・しごとする人
・それが言語化・可視化できる研究者とは「相互並進」できそう
・高森順子さんの文章のAI summary/要約
【この文章は、高森順子による父の死とその過程を通じた記憶のケアについての試論です。彼女は阪神・淡路大震災の経験を持ち、伯父の活動を引き継ぎ、震災の記録や表現に関する研究を続けています。
1. 震災と家族の影響: 高森は、1995年の阪神・淡路大震災の影響を受けた幼少期を振り返り、伯父の活動を通じて震災の記録を続けてきたことを述べています。「私は、伯父亡き後の10年で14編の手記と、6つのインタビュー記録を世に送り出しました。」
2. 父の死とその影響: 2021年に父が新型コロナウイルスに感染し、亡くなるまでの過程を詳細に描写しています。「私が書きたくてたまらないこと、それは、2021年10月9日に父がコロナで死んだことです。」
3. リモート面会の経験: 父が入院中、リモート面会を通じて家族とのつながりを保とうとした経験を語ります。「私は育児休暇中でほとんどの時間を家で過ごしていたため、毎日同じ時間にリモート面会することができたというのもあった。」
4. 記憶の表現とその意義: 記憶を表現することが、個人の問題を社会的な問題として考える回路を生むと述べています。「記憶を表現することは、『私』の問題を『私たち』の問題として考える回路を生み出します。」
5. 表現のダイナミズム: 記憶を表現することは、忘却と発見の表裏一体であり、表現することで新たな感覚が開かれることを強調しています。「記憶を表現することで、新たな感覚が開かれもする。」
この文章は、個人的な体験を通じて、記憶のケアや表現の重要性を探求する内容となっています。】
☞ User Local AIテキストマイニング・Chat-GPTによるsummaryより
https://textmining.userlocal.jp/results/SibCQ8MUPr7ZQDmXoCxhnehujf58yFke#auto_summary
AIさんのsummary/要約は、無機的客観的分析で作者の意図に潜む「感情/情動」を掬い上げるのはやや苦手そうです。
*写真は、高森順子「パパがコロナで死んでも、人生は続く——自棄っぱちケアのための試論」の記事より転載させていただきました https://distance.media/article/20240918000312/