MCTのマインドフルネスと仏教のマインドフルネスの比較
・MCTは認知療法の系譜にあり「技法だけを応用した」もしくは「本来別の技法が共通点がある過ぎない」と理解した方がよさそうだが…。
1.ディタッチト・マインドフルネス (DM) と他の文脈で用いられるマインドフルネス の違い
A・Wells
・瞑想を含まず
・広範で継続的な実践を必要とせず
・身体に注意を固定的に焦点づけず
・現在の瞬間の気づきよりも思考へのメタ的気づきの促進に関係する
などを列挙している (ウェルズ, 2012)。
・「ディタッチメントは,具体的なメタ認知の処理モデルによって説明可能な変数であり,MCTに特有な概念」(今井)
(その一方で,MBCTの「あることモード(being mode)」の「全ての体験を意識の中の出来事として知覚すること」 という特徴を,メタ認知の機能的観点からDMとの類似性が認められる概念であるとも指摘)
2.全ての体験を皮膚の内側の中の出来事としたら?
・徹底的行動主義の自己観や仏教の自己観と類似してしまう
・ディタッチメントの説明として
1) 思考に反応する時の概念的もしくは対処に基づいたあらゆる活動からの解放
2) 自己の意識的な経験を思考から切り離すこと
がACTの脱フュージョンと似てしまう。
3.MCTは身体に注意を焦点づけない
・はじめからこれらの内受容感覚に注意を向けることはストレスフルであることを報告している Wells(2002)
・自己関連刺激などに焦点をあてる方法を一貫して適用しないのは,内受容感覚が自己注目(対象モード)を誘発しやすいことを想定しているから(今井)
→ MCTは反すうや心配と深く関わる自己注目を減らすことを大きな目標としている
・認知療法は自己の内と外を区別する常識的な自己観に立つ
※ 徹底的行動主義や仏教は自己に観察するという機能しか認めない
4.体に焦点づけないは、「注意を向けてはいけない?」なのか
しかし、治療が多少進んだ段階で,応用問題として内受容感覚を活用するという方向性はあってもよいのではないか。
「身体に注意を固定的に焦点づけない」は「身体に注意を向けてはいけない」という訳ではなく,マインドフルネスに含まれる観察瞑想のように,身体の全体,外的環境の全体を捉える六根(五感+自動思考)の働きに注意を向けることとの違いも相対的なものかもしれない。
・MCTにもマインドフルネスと治療原理そのものが重なっている可能性もある
【参考】
熊野(2021)第3世代の認知行動療法の治療原理とマインドフルネス,心理学評論 Vol. 64, No. 4
【ベストコメント】
「あきね神さま下界の者の戯言に耳をお貸しください」
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