1.デューイの教育思想の「個性」に関する著作
デューイの考えた「個性」…「空間的多元性」と「時間的相対性」をもち、「個性は優劣の基準によって判別される対象であると同時に、その基準を作り変える主体」、すなわち変革可能性を秘めている
【著作】
・「平凡さと個性(Mediocrity and Individuality)」(1922)
・「個性、平等、優等さ(Individuality, Equality and Superiority)」(1922)
・「教育における個性 (Individuality in Education)」(1923)
・「個性と経験(Individuality and Experience)」(1926)
・「時間と個性(Time and Individuality)」(1938)
いずれも1920年代と1930年代にかけて書かれた。
・1922年12月に発表された二論文「平凡さと個性」「個性、平等、優等さ」は、コルゲート大学学長G. B. カットンの学長就任演説批判に端を発するもの。デューイはその論調に「個性」が看過されていることに疑義を申し立てた。
2.知能テストの始まり
・アメリカで、第一次世界大戦への参入に伴って陸軍で大規模に実施されたことをきっかけに爆発的に普及『陸軍知能テスト』
・E. ソーンダイク、A. ビネーらによって開発された後にアメリカへ紹介され、 1916年にL. M. ターマンらによる改訂を経て普及した
・1920年代初頭には学校教育へ広がる
3.カットンによる解釈
「知能テストの結果は、不平等だけでなく、階層間の極端な格差が想定していたよりもさらに大きいことを明らかにした」
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・陸軍知能テストの結果ではカレッジ卒業者相当の知能を示した人々の割合は全体のうち15%で、この15%を「知的貴族(intellectual aristocracy)」 と呼びコールゲート大学の学生がこうした「知的貴族」の一員であり、大学に求められるのは「知的貴族が働くことを可能にし、責任を受け入れるよう促すような訓練を提供することだ」[Cutten 1922: 482]。
4.デューイによる知能テストへの批判
・カットンの演説のうちに「特定の個性を無視し、知的・社会的に固定された階級 (class)の観点で考えるという習慣」を見出し、批判的な見方をとった。
・「偉大な金融家にはじまり産業界のリーダーへ、そして未熟な労働者へと等級づける」
産業社会とのかかわりのなかで形成された職業や経済・社会的成功にもとづく序列化と結びついている。
・社会における序列のもとで個性をとらえる思考習慣は、産業社会で生じた「新しい封建的な考え方」だ。
・「現在の社会的状況のもとで際立った成功をおさめる精神と人格の特質に基づいて、個人 を判断する基準」は、教育にも受け入れられ、高位の等級にあるとされる人々が、諸個人を「大量の数字の平均、すなわち個性ではなく平凡さを表す分類によって判断する」こと、そして教育がこうした態度を助長している。
・産業社会での成功をひとつの基準として優等性・劣等性を定義すること自体が端的に誤りである。
・「優等、劣等とは、何においてなのか」という問い、「金儲けや音楽、詐欺や陰謀においてなのか、賢明な親や良き隣人となることにおいてなのか、主婦、運転手、図書館員、気さくな仲間、信用詐欺師、高等数学の研究者、会計の専門家、扱いやすい労働者あるいは革命家としてなのか、あるいはそれなりの映画脚本を書くことや実験室での研究においてなのか」
・到達されるべき結果と達成されるべき仕事の数だけ、優劣の様式(modes)がある。そして、 社会が静止するまでは、新しい諸活動様式が絶えず発展し、それぞれが特殊な劣等性や優等性を許容するとともに必要とする。
・「優劣の様式」は複数あり、その数は「到達されるべき結果と達成されるべき仕事の数」に等しく、時代が変われば「優劣の様式」は変化する。「優劣の様式」は既存の社会のうちですでに多元的で、その拡がりは時間的な次元にもつうじている。仮に優劣が測られうるとしても、それは特定の様式においてのみ可能なのであり、いかに優れていようとその人物の特権性を示すものではない。
・個々人が発揮する諸能力とは「ごく普通の人間の中にある独自の特徴的な質、すなわち個性」の表現にほかならない
【参考文献】
梶川(2023)測定の時代における「個性」概念の再考―ジョン・デューイの1920年代から1930年代の思想変遷を手がかりに,「教育学研究」第90巻 第1号
【ベストコメント】
数字にできない、価値がある
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