ナチュラルノンデュアリティについて
在るがままの癒しが平安であり
うち側(自我、自力)やそと側(他力)
は
非実在です
つまり自力も他力も幻の概念です
自我のそと側とはなんでしょうか
それは偽りの宇宙(モノや肉体)であり
依存しても架空なのです
同様に
自我のそと側に神や聖霊を想定して依存しても
架空の概念なのです
在るがままは無条件、無努力であり
すでにあるもの であり
いかなる作為、意図も幻なのです
これが
ナチュラルノンデュアリテによる催眠解除のためのメッセージです
自然のなかのオートマチックの終焉なのです
(付記)
ナチュラルノンデュアリティ
においては
私(自我催眠)を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない
ということ
そして
ほんらいのじぶんを見失っているときも
いぜんとしてここにある
実在(不変というナチュラル)
つまりは
自力(自我催眠においての)
や
自力のあとの他力
(宇宙の身体やモノや、概念としての神)
いぜんにある
ナチュラル ただ在る
ということをかいています
ナチュラルノンデュアリティ(真の神)のワクワクにおける試みの反省が
自然のなかのオートマチックの終焉(封印)
ということになります。
(付記2)
オートマチックの終焉とは
私という状態は
私(概念)と神(概念)をつくりわけて考える
アンナチュラルな発想をもつ
永遠の今が実在なら
自力とか他力というのは
変化(私)が抱く空想です
永遠の今のなかに
変化がおきはじめる
とき
そこに主体(能動体)も客体(受動体)もまだありません
まだニ者はいないんです
にもかかわらずおきる
それがオートマチックです
ただそうである
いやしもただおきる
つまり
ただある
からおきる
「主体」からするのではないです
いやしもおなじ
オートマチックです
ただあるの本性(在るそしてワクワク)にしたがって
言い換えれば本能のままに
そして
変化を終焉したくなることもそうです
(付記3)
無条件 無努力が実在
二つもいしきはない
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