死ぬ日だとしても読める、と思う短歌
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ゲームセンター跡地でちょっと彼女らが靴下留めをひっぱった夏
夏の夜に光りつづける青白い電話ボックスを抱きしめに行く
十八歳の聖橋から見たものを僕はどれだけ言えるだろうか
さりげなくさしだされているレストランのグラスが変に美しい朝
たくさんの手紙が欲しい日があってそういうときは寝てしまいます
「何処へゆくリフトでしたか」中空にたなびいている砂の足跡
今朝(けさ)きみが食べるレタスやトマトには僕のかけらもまぎれこまない
雪になる一歩手前のまなざしが雑木林で手を振っている
ほんとうはありとあらゆるひとたちが僕はしんじつ好きでした
僕たちが知らない時代を君に似た少年がてくてく歩くなんてね
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』
は
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「短歌という伝統詩は、どれほど新しくてもどこかに懐かしさを感じるものだ」
「ぼくは、俵、穂村、加藤に少し遅れて早坂類が登場したとき、この懐かしさがないことに違和感をおぼえた。」
荻原裕幸「悲鳴の気配 早坂類歌集『風の日にベランダにいる』に寄せて」 (タイトル、ママ)
(短歌ヴァーサス No.9 2006年)