カレーといえばビーフなのか?
よくあるインネパ系のインド料理店に入った
聞き耳を立てていたわけではないのだが、近くの席で若い男性2人が「カレーといえばビーフだろう」と言いながらビーフカレーを注文していた。
口には出さなかったが、いろいろと言いたくなった。
確かに日本人には「カレーといえば牛」という感覚が埋め込まれている。
特に西日本は強い。
家庭のカレーに使う肉を調べた調査でも、東日本は豚が圧倒的で、西日本は牛が多数派になる。
三重と滋賀のあたりが境目だという話もある。
ではなぜそうなったのか。
そして、その感覚をインド料理店に持ち込むと何が起きるのか。
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カレーはイギリス経由で入ってきた
まず、「カレー」という言葉自体がインドの言葉ではない。
南インドのタミル語の「カリ」が語源とされるが、多様なスパイス料理をひとまとめに「カレー」と呼ぶ発想は、イギリスが持ち込んだ包括的な、つまり植民地支配的な分類だ。
インドの人たちは、素材に合わせてスパイスをその都度調合する。
僕も現地の家庭に入り込んで一緒に料理を作ったが、まったくそのとおりだった。
ただ、これは相当に難しい技術でもある。
スパイスを6種類も8種類も渡されて「これでカレーを作ってください」と言われても、どれをどれだけ入れればいいのか見当がつかないだろう。
イギリス人も同じだった。だから彼らは、あらかじめ調合済みの「カレー粉」を生み出した。
インドには存在しないものだ。
そのカレー粉を、本国のシチューに入れた。
これが日本のカレーライスの原型になる。ルー(roux)はフランス語で、小麦粉を油脂で炒めたもののこと。
とろみはここから来ている。
そして庶民に牛のシチューは手が届かない。
海軍や上流階級が食べていたのが、ビーフシチューにカレー粉を入れたものだった。
ちょうど明治維新の頃、日本は産業革命を最初に起こしたイギリスから多くを学ぶ。
カレーもその流れに乗って入ってくる。
当時の軍隊には最も優秀な人材が集まり、予算も潤沢だった。
今とはまるで違う。
日本人の「カレーといえばビーフ」は、この経路の産物だ。
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インドに牛肉のカレーはほぼない
一方、インドで最も多いのはヒンドゥー教徒で、牛は神に等しい存在だ。
当然、食べない。
メニューに「ビーフ」と書いてあっても、実態は水牛であることがほとんどだ。
もちろんゼロではない。あれだけ大きな国だから、イスラム教徒もキリスト教徒もいる。
ケララ州のように、ビーフカレーが土地の料理として根づいている地域もある。
ただ、僕がケララ州を旅した時に目にすることはなく、全体の中では例外的な位置にとどまる。
そして日本のインド料理店の多くはネパール人が営んでいるが、ネパールでは牛は2015年憲法で国獣とされ、屠殺は刑罰の対象だ。
ついでに言っておくと、イスラム教徒は牛肉を食べる。
避けるのは豚のほうだ。禁忌の中身は宗教ごとにまったく違う。
もっとも、豚を口にするイスラム教徒もいれば、牛を食べるヒンドゥー教徒の地域もあって、細かく言い出すときりがない。
ここでは単純化して話している。
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羊の生姜焼きを、うまく作れるか
どのくらい外れた話なのか。
海外の日本料理店で、豚の生姜焼きの代わりに「羊の生姜焼き」が出てきたらどう思うだろう。
生姜焼きは豚だから生姜焼きとして成立する。
ヤギでも牛でも、それは別のものだ。
牛丼をマトンで作られても困る。
そもそも味付けが合わないはずだ。
しかも問題は、作る側にもある。豚の生姜焼きをうまく作れる人でも、羊の生姜焼きの正解はわからない。
本国にない料理なので「本当にこれでいいのか」と思いながら作ることになる。
インド料理店のビーフカレーが正にそれだ。
作っている本人も食べたことがない。
ヒンドゥー教徒なら味見すらできない。
牛が好きだから頼む、それはいい。
メニューにあるのだから。
ただ、それを食べておいしい・おいしくないを論じるのは、海外で羊の生姜焼きを食べて日本料理を評するのと同じくらい奇妙なことなのだ。
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迷ったらチキンでいい
タイやスリランカのような仏教国は比較的自由で、スリランカのポークカレーはうまい。
だがインドやイスラム圏では、宗教の価値観を織り込まないと話がおかしくなる。
そして一番無難なのは鶏だ。
鶏肉を食べない文化を、僕は思いつかない。
イスラムでもハラルであれば食べられる。
チキンカレーが世界中どこにでもあるのは、どこにも禁忌がないからだろう。
同じ理屈で、親子丼は海外でもわりと成立する。鶏と卵で組み立てられているからだ。
宗教が絡んで崩れる料理と、崩れない料理がある。
知らない国のカレー屋で迷ったら、ビーフやポークではなく、チキンがいい。
チキンなら、たぶんその土地の味になる。