頼むからSNSに休みを上げてほしい
お盆が終わった。
飲食店はお盆に開けているところが多い。
帰省してくる人がいるから、お好み焼店なんかは昔なじみが帰ってくるので、まず開ける。
そして今週あたりに振替の休みを取る店が多いのだが、頼むからSNSに休みを上げてほしい。
店の前に貼り紙をするだけでは何の意味もない。
客はそこまで足を運ばないとわからないのだから。
つまり今日、目的の店に僕は振られたのだ。
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小学校への誤爆と、「仕方がない」
という訳で、振り替えた店でご飯を食べていたら、テレビでドローン兵器の特集をやっていた。
今年2月28日、米国とイスラエルによるイラン攻撃が始まった日に、南部ミナブの女子小学校がミサイル攻撃を受けた。
イラン国営メディアによれば、児童168人と教員14人が死亡している。
米軍の暫定調査では、隣接する革命防衛隊の基地を狙う際に古い情報で座標を設定したことによる誤爆の可能性が高いとされた。
番組では、これからAIが兵器に搭載されていくときの安全性をどう担保するのか、そこがきちんとしないまま運用などできませんよね、と女性アナウンサーが言っていた。
終戦記念日の2日後にこれを見るのは、なかなか味わい深かった。
僕も当然、そんな間違いがあってはならないという感覚を持っている。
ただ、実際にやっているアメリカやロシアは、たぶんそこまで考えていない。
ゼロではないだろうが、まず戦争を有利に進めること、ルールを自分たちで決めることのほうが重要なのだ。
なぜ小学校と軍事施設を取り違えたのか。
分析して次はないようにしよう、これは良くなかったね——とは言うだろう。
でもそれは、僕たちの言う後悔とはレベルが違う。
ロシアの指導者層も、自国の兵が死んでいくことに何も感じないわけではないだろうが、戦争なんだから仕方がない、という感覚だと思う。
かつての日本も、その側で戦争をやっていた組だ。
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価値観が違いすぎる相手と、友達になれるか
そういう価値観で戦争をする相手に、人権派的な考え方では勝てない。
一定数の民間人が死ぬのは仕方がない、これから改善していずれそうならないようにできればいい。
そう考えて戦争をしている国と、今の日本の価値観は、永遠に相容れないと思う。
僕自身、まったく理解できない。
友人関係でもそうだ。
考えが違っても、あいつの言うことにも一理あるな、100%同意ではないけれどなるほどな、と思える相手とは友達になれる。
でも、何でも暴力で片づけるゴリゴリの武闘派とは、なかなかそうはいかない。
そもそも価値観を尊重できないからだ。
自分は同じことをしないけれど、言っていること、やっていることは理解できる。
その線を越えられるかどうかだと思う。
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蓋をしている国
では相容れないから決別すればいい、と言えるような地政学的立場に日本はない。
完全に独立すればいいと言う人もいるけれど、それは今の情勢をあまりに理解していない議論だ。
周りには権威主義的な国家が多い。
中国や北朝鮮から見れば、日本は海に出ていくところに蓋をしているような国で、非常に鬱陶しい。
ロシアにしても、北方四島は押さえているが、使い勝手のいい不凍港とは言いがたい。
アメリカは、そのユーラシア大陸に蓋をしている日本に基地を置いて有利に進めている。
日本はそういう場所にあるのだ。
だからアメリカの言い分を、僕たちが感覚として理解できなくても、政治家は——防衛大臣の小泉進次郎さんのような人は——理解していかなくてはならない。
小学校に爆弾が落ちても、なぜ間違えたのかな、次はないようにしないとな、で済ませる人たちの考え方を理解した上で、同盟を続けていく。
大変な仕事だと思う。
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理想の側から石を投げる
日本の戦後教育には、アメリカ民主党のリベラルな理想がゴリゴリに影響している。
でも理想を語ること自体、全く悪くない。
理想を忘れると、殴って言うことを聞かせればいい、気に入らなければ殺せばいい、という話になってしまう。
超リベラルな側と、ゴリゴリの暴力側と、そのグラデーションのどこに立ち位置を取るか。
日本はかなり理想寄りに立っているが、多くの国はもっと暴力寄りにいる。
その間で折り合いをつけていくしかない。
例えれば、戦前の日本の軍国主義のような国と仲良くするというのに近い。
外交や防衛をやっている人たちは、その中で主張を通し、なおかつ同盟を結んで維持していく。
すごい仕事だと思う。
そこに理想の側から石を投げて、何をやっているんだお前らと言うのは、めちゃくちゃ簡単だ。
うまくいくなら理想が一番いいに決まっている。
でも、世界が混乱している中で妥協点を探している人たちに向かって、じゃあ日本が戦争してもいいのか、という石の投げ方をするのはどうなのか。
安全地帯で理想論に守られながら石を投げるのは卑怯じゃないか?と感じたという話でした。