神様は、物語である
僕は時々、神社やそこに祀られている神様の話をする。
ただし、パワースポットやスピリチュアルの類にはまったく興味がない。
気を悪くされたら申し訳ないのだけれど、神様というのは物語だと思っているからだ。
ギリシャ神話も北欧神話も、世界中に神々の話がある。
物語を共有することで共同体を作るというのは、ホモ・サピエンスの特性だろう。
日本で起きたことも、それと同じだと思う。
では、なぜ神社には興味があるのか。
そこには土地の歴史や風俗、そこに住んでいた人々の生活が、最も色濃く残されているのではないかと考えているからだ。
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歴史書は、勝った側が書く
『古事記』『日本書紀』——記紀は、大和が日本を統一していく過程で書かれた、勝ち組の歴史である。
歴史書とはそういうものだ。
カエサルの『ガリア戦記』は紀元前の書物だが、自分の戦いを実にポジティブに書いている。
あれは歴史書として書かれたのではなく、ローマ市民に読ませて支持を得るために書かれたのだから当然だ。
鎌倉幕府の『吾妻鏡』もそうだ。
源頼朝が開いた幕府を北条氏が簒奪した、などと書くわけがない。
北条の歴史書なのだから。
記紀が大和に甘いという指摘もあるが、それは当然と僕は思っている。
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東国三社という引っかかり
その記紀の中でよく知られているのが、出雲の国譲りだ。
大国主命が自らの国を譲る。
この話で前から気になっていたのが、東国三社の神々である。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社。
この三社を東国三社という。
格式が非常に高い。
平安時代の『延喜式』神名帳で「神宮」と記されているのは、伊勢・鹿島・香取の三社だけなのだ。
鹿島の武甕槌神と香取の経津主神が出雲に派遣され、息栖の天鳥船神がその乗り物として道案内をしたとされる。
だが、なぜ出雲の国を大和に譲らせる場面で、茨城や千葉の神が出張ってくるのか。
二年ほど前に実際に行ってみたのだが、由来の説明も伊勢や出雲ほど整っておらず、これが神宮なのか、という感触だけが残った。
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途中で止まった本
そんな時に、東北大学名誉教授の田中英道さんが「古代の東国には大和とは別に日高見国があった」と主張していると知った。
なんだそりゃと思って本を買った。
『日本創世史』(ダイレクト出版、2025年3月)である。
最初は面白かった。
人類が東へ進み続けたのは太陽を目指したからだ、という。
アフリカに生まれ、中東を経てユーラシアをひたすら東へ。
その果てが日本である、と。
いやその先、ベーリング海峡を越えてアメリカ大陸まで渡っているだろう、とは思った。
ただ太陽をネガティブに祀る文明というのはまずないから、なるほどとも思った。
だが途中から、どうもわからなくなる。
古代の日本にユダヤ人が渡来したという説が出てくる。
空海が聖徳太子を尊敬したという話も出てくる。
親鸞についてはよく知られているが、顕教を土台にその先へ進んだ密教を学んで帰ってきた空海はどうだろうか。
何より、根拠が書かれていない。
ご本人も美術史が専門で、自分の目で見て感じたことを書いているのだという。
それだと空想の物語を聞いている気分になる。
300ページ以上あるうち、100ページほどで手が止まった。
AIに聞いてみたら、学界からはあまり相手にされていない内容らしい、という答えが返ってきた。
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負けた側の歴史
神社には、負けた人たちの歴史がある。
諏訪大社の御柱祭で山から大木を落とすあれなど、縄文の文化が最後まで残ったものだろう。
大和に吸収される前、そこにどんな人が住み、どんな文明としきたりを持っていたのか。
僕はそこに興味がある。
征夷大将軍の「夷」は、東夷の夷だ。
東に住む蛮族を征服するための将軍、というのが本来の意味である。
最初にこの職に就いたのは大伴弟麻呂で、有名な坂上田村麻呂はその次にあたる。
つまり東日本は、長く大和の外にあった。
だから古代史にもほとんど出てこない。
支配下に入っていないのだから、当然といえば当然だ。
その中で鹿島・香取のあたりだけが、早くから大和と何らかの関わりを持ち、うまくやろうとしていたように見える。
そこを足がかりに、大和は東へ広がっていったのだろう。
東国三社は、その結び目にあったのではないか。
日高見国の話は、僕にはやはり違うように思える。
全部読んでいないので申し訳ないのだが。
ただ東国三社が何だったのかは、別の本を取り寄せたので、そちらで勉強してみようと思っている。